ピエ・ノワールとしてのカミュ

Yumat2006-09-13

去年の年末、カミュについての論文を書いたのですが、先日ようやくパブリッシュされました。タイトルは「脱植民地化と故郷喪失:ピエ・ノワールとしてのカミュ」、媒体は、S先生の主宰する『Becoming』No.18です。


http://homepage3.nifty.com/BC/T1.htm


カミュの小説は最近ではポスト・コロニアリズム的に読まれることも多いのですが、そのような読み方の最初のものではないけど、世の中に広く知らしめたのはE・サイードの『文化と帝国主義』に収められたカミュ論「カミュフランス帝国体験」でしょう。


文化と帝国主義1

文化と帝国主義1


この本はすでにポスト・コロニアリズムの古典となっているし、サイードは現代の世界状況を考えるうえでとても重要な思想家/批評家です。僕自身、学生時代に『オリエンタリズム』を読んで以来、少なからぬ影響と刺激を受けてきました。でも『文化と帝国主義』に収められたカミュ論は、どうもしっくりこないのです。


イードカミュ論の主旨を極端に単純化して言うと、「カミュの作品は、小説というかたちで表現されたフランスによるアルジェリアの植民地支配の正当化だ」、という一点に尽きます。議論は非常に論理的かつ断定的に組み立てられていて、カミュの小説を直接読んでない人なら説得させられて、「そうか、カミュってフランス帝国主義のイデオローグだったのか」という感想を抱くことになるかもしれませんが、じっさいに小説を読むと、とてもこの直線的な論理だけでは言い切れない部分が多々あるのです。


たしかにカミュアルジェリアに生れたフランス人で、死ぬまでアルジェリアの独立には賛成しませんでした。フランスによるアルジェリアの植民地化は1830年に始まりました。代々、この地に住み、他に行くべき場所を持たない人も少なくありませんでした。カミュもその一人です。カミュ自身は、有名作家でしたからフランス本国に住むこともできましたが、アルジェリアに残された彼の年老いた母親は、そうはいきません。一方で反植民地主義の機運が高まり、そのことを理解する知識人としての立場と、アルジェリアに生まれ育ち、近しい人たちが現に住み続けているアルジェリアのフランス人としての立場とのあいだで、カミュは難しい状況にありました。


1954年から起こったアルジェリア独立戦争の過程で、カミュアルジェリアのヨーロッパ系住民とアラブ人との共存を何とか可能にしようと、ジャーナリズムで言論を発表し続けました。暗に(というよりあからさまに)サルトルを念頭において、「パリにいて反植民地主義を語ることは容易なことだ」というような嫌味を交えつつも、基本的にそれらの文章は和解と共存を求めるまっすぐな意志に基づき、簡潔な文章で直線的に貫かれています。とはいえそれも、あくまでフランスの支配を前提としたうえでの共存ではあったのですが。


でも、この時期に書かれたカミュの小説、とくに『追放と王国』に収められた諸短編を読むと、印象がまったく違うことに気づきます。


転落・追放と王国 (新潮文庫)

転落・追放と王国 (新潮文庫)


最初に読んでまず感じるのは、この作品の暗さです。ここには、傲慢でふてぶてしい『異邦人』のムルソーや、死を恐れず、危険に英雄的に立ち向かう『ペスト』のリウーのような人間は一人も出てこない。むしろ、自分を見失い、居場所を無くし、砂漠をさまよう人たちばかりです。この暗さは、カミュがもはやアルジェリアの独立を止めることはできないこと、独立にともなって自分たちが生れ故郷を追われるだろうことを、予感していたかのようです。


もちろんそのようなことをジャーナリズム等の場で公言することを、カミュはけっしてしなかったし、また立場上、できませんでした。しかし、公言することが不可能であればあるほど、彼の小説家としての想像力は、その不可能性のほうへあえて向かい、遠くない将来に来るだろう暗い未来を想像せざるをえなかったのではないでしょうか。『追放と王国』は、ジャーナリズムの直線的論理ではけっして言い表しえないことを表現するためにこそ書かれたのではないか――これらの諸短編を読むと、そんな印象を強く持ちます。


アルジェリアが独立したのが1962年。独立も、その後にアルジェリアのフランス人に訪れた運命も知らないまま、カミュは不慮の自動車事故で1960年に亡くなります。


独立後、本国に引き揚げたアルジェリアのフランス人たちは、「ピエ・ノワール」(フランス語で「黒い足」という意味)という名前で呼ばれ、そして後には自らもそう呼ぶことになります。カミュ自身は直接体験しなかったにもかかわらず、彼の小説『追放と王国』は、このピエ・ノワールたちが後に辿るだろう歴史的運命を暗示しているように思われます。


イードは、小説とジャーナリズムの論説とを一緒くたにして、それらすべてにアルジェリアの植民地支配を正当化するカミュの意志が現れているかのように論じているのですが、そこに感じた違和感が、今回のカミュ論を執筆したきっかけです。どうもサイードカミュ論は最初から読解の枠組みが決まっていて、その方向に合うように強引にテクストを読んでいるように思われて、それはあんまりだろうと思ったので、自分で論じなおしてみたいと思ったわけです。


イードが重要な思想家であることは間違いありません。でもだからといって、彼のすべてが正しいとは限らない、というのは言うまでもなく当たり前のことです。