『ペルセポリス』

Yumat2007-07-06

今日は今年のカンヌ映画祭で審査員賞を受賞したアニメ映画『ペルセポリス』を観ました。これはイラン生まれのフランス在住の漫画家マルジャン・サトラピの自伝的マンガをアニメ化したものです。


1969年生まれの主人公マルジ(サトラビ氏と同じ)は、9歳でイラン革命、11歳からイラン・イラク戦争を経験する。イスラム革命後、西洋文化は堕落をもたらすとして全面的に禁止され、監視の目が張り巡らされるなかで、新欧米派かつ反体制派の家庭に育ったマルジは闇で欧米のロック音楽(アイアン・メイデン!)のカセットテープを買ったり、学校で保守的なことを言う先生につっかかったりする。心配した両親がオーストリアへ留学させ、そこで恋愛やロックコンサート、ドラッグなどと出会い、自由を満喫する。しかし、その後には失恋と孤独、家出があり、ホームレス同然にまで身をやつし、イランへの帰国を決意する。しかし、すでに自由の味を知ったマルジにとって、自由の制限されたイランの生活はなかなか馴染めず、大学に入学し、結婚するも離婚、ついにはフランスに行くことを決意し、空港に到着してタクシーに乗って街中へ向かう場面で映画は終る。


日本でも漫画のほうはすでに二巻に分けて翻訳されていて、一巻目はマルジがイランからオーストリアに向かうまで、二巻目はオーストリアで自由の光と影を体験し、イランに帰国し、大学進学、結婚、離婚するまで書かれているようですが、映画ではこれら全てが描かれています。


ペルセポリスI イランの少女マルジ

ペルセポリスI イランの少女マルジ

ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る

ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る


つまるところ、これは一人の少女が、西洋文化を堕落と見なす宗教革命と長年の悲惨な戦争とを経験した国と、セックス・ドラッグ・ロックンロールのある国との圧倒的な差異を生きながら、ときに自分を見失いながら、成長してゆく過程を描いた物語なのですが、新聞やテレビではほとんど伝わることのない、イスラム体制下で暮らす人々の具体的な姿を、少女の視点から窺い知ることができます。


もちろんこの作品にある種の偏りがあるのはたしかでしょう。主人公とその家族は自由と独立、アルコールとロックを愛するなど西洋的価値観を持っているし、両親が学校的権威にたいして反抗的なマルジの安全を考えてオーストリアに留学させるという場面も、そのような選択が可能なこと自体、庶民階級ではないことを示しています。総じて言えば、体制の抑圧に反抗し、自由を求めて西洋に渡る主人公の姿は西洋の人々には心地よく響くだろうし、逆にイランの体制に近い人々にとっては不快に映るでしょう。この作品はカンヌで審査員賞が与えられ、アメリカでも映画化が計画される一方で、イラン当局は国内で原作漫画を発行禁止にしました。


けれども、そういったことを考慮したうえで、なおこの作品が弱くない印象を残したのも事実です。それはストーリーもさることながら、映像の力にもよっています。主人公の現在を描く場面以外は全て白黒で描かれる映像は、技術的には、日本の高度なアニメーションを見慣れた目からすれば実に素朴で、最初は少々面食らいます。しかしこれがなぜかしら印象的で、脳裏にイメージが焼きつきます。非常に単純化されたフォルムで描かれ、幼少期のマルジはどことなくちびまる子ちゃんを連想させるのですが、白黒二色で描かれるため、多くのディテールの描写がそぎ落とされ、いっそう形態の単純さが際立っています。ところどころで人物が黒いシルエットになって動く場面はまさしく影絵や切絵のようです。複雑な人生を単純な色と形のなかに凝縮することによって、この作品にはある種の童話が持つような力が備わったと言えるでしょう。