移民史博物館

Yumat2007-10-11

今日、Porte Doréeにある国立移民史博物館が開館しました。もともとこの場所は、1931年、パリで開かれた植民地博覧会のときに、Alfred Lapradeによってポルトドレ宮が建てられたところで、この建物は植民地博後、アフリカ・オセアニア美術国立博物館となっていました。この博物館は2003年に閉館し、展示物はシラク大統領の肝いりでできたケ・ブランリ美術館に移されました。そしてその後釜に座ったのが、この移民史博物館です。フランスの移民が少なからず植民地の存在と関連していることを考えると、一貫して、植民地の歴史と関わっている場所であるわけですが、そのような前史をこの新しい博物館は隠しはしません。


それにしても、移民史博物館の開館にいたるまでの道のりは、かならずしも順調ではなかったようです。今年の5月18日、ジェラール・ノワリエルやパトリック・ヴェイユら、フランスの移民研究の第一人者であり、そして1990年からこの博物館設立を政府に働きかけ、実現に向けて尽力してきた研究者たちが、この博物館のアドヴァイザーを辞するという出来事がありました。5月18日、それはサルコジ新大統領の下、「移民省」(正式名称「移民・統合・国民的アイデンティティ・共同開発省」)が新たに創設された日です。この新しい省は、彼らによれば、移民に烙印を押し、外国人への不信と敵意を含むナショナリズムに基づくものであり、それへの抗議の意思表示としての辞任ということのようです。


当然国立の施設であるこの博物館は多かれ少なかれ政府の介入を受けるわけで、辞任に至るまで、舞台裏で新大統領およびその新スタッフたちと、どんなやり取りがあったのかなかったのか、それは定かではありませんが、つまりは新大統領の手先になるようなことはしたくない、あるいは同類と見られたくない、ということなのでしょう。



こうして誕生する前から政治の只中にあることを宿命づけられたこの博物館ですが、今日、こうして開館に至りました。展示内容はというと、展示スペースに入るとまず最初に19世紀以降の世界中の人口移動を示すパネルが天井から釣り下がっていて、フランスの移民を世界規模の視点で捉えるような仕掛けがなされています。









それに続いて、移住、移住後の生活、受け入れた政府の態度、ホスト社会の人々の反応、移民たちの仕事、文化、宗教などが展示されています。移民・外国人にたいして向けられた排外的な現象(黄禍論のイラストもある)や、移民たちが多く暮らす郊外の団地の様子などにも、しっかり光が当てられています。


展示の後半部分に相当する文化や宗教などのコーナー辺りになると、アート作品がたくさん散りばめられています。一つの建物で博物館と美術館とを両方兼ねようとすると、どちらも中途半端になって、あまりうまく行かないことがありますが、ここではその試みは――スペースの制約上、十分な数の作品がないということを除いて――基本的には成功しているように思えます。ここに展示されているアート作品は移民について何がしか伝える媒体であると同時に、それ自体が当然ながら移民たちの創りだした文化でもあるので、博物館であると同時に美術館である必然性があるからです。


それにしても、もっとも印象的だったのは。観客に移民系の人々が多かったこと。移民史博物館なのだから当然のようにも思えますが、しかし、一般に博物館や美術館で移民系の人々を見かけることは少ないのです。フランスにこれだけ移民が多いことを考えると、この少なさは、たんに個々の展示内容と個々人の興味の不一致という個人的次元を超えて、博物館・美術館と移民との制度的な隔絶を示唆していました。


その隔たりが、ここ移民史博物館で超えられたのです。先に移民系、と言ったのは、移民一世よりも二世ないし三世と思われる人々が多かったからですが、彼らにとって、この博物館は自分たちの親や祖父母たちが辿ってきた道を確認し、フランスの歴史のなかに自分たちの存在を位置づけることを可能にしてくれる場所になるのでしょう。


移民の社会統合という課題は、フランス語の習得や仕事の斡旋といったことに尽きるものではありません。自分たちはどこから来て、何であるのか―ー移民たちが抱くその問いに納得のいく答えが見出されないかぎり、真の意味での統合もないでしょう。この博物館がその答えを与えてくれるかどうかは分かりません。しかし、少なくともそのきっかけは、与えてくれるように思います。