スカーフ問題からブルカ問題へ?

Yumat2009-06-20

ルモンドやフランス2などの各種メディアによれば、最近フランスでスカーフ問題が再燃しかけているようです。スカーフ問題といえば、1989年に問題が発生して以来、えんえん議論がなされ――その詳細については日本でもさかんに紹介されました――、2004年に公立学校でのスカーフ(だけでなく、これ見よがしの宗教的シンボル全般)の着用を禁止する法律が制定され、この問題は片が付いたように見えましたが、5年経った現在、また問題化しかけているようです。


今回問題となっているのは、ムスリム女性の髪の毛だけ覆うスカーフではなく、全身を覆うブルカやニカブ(ブルカは全身が完全に覆われ、ニカブは目の部分だけ開いている)。事の発端は、今月17日にリヨン郊外のヴェニッシュー市長アンドレ・ゲランがブルカやニカブを禁止する法律の制定を目指し、現状を調査するための議会委員会の設置を提案したことにあるようです。彼の提案には左右問わず、約60人の議員が賛同しました(主な内訳は民衆運動連合43人、社会党7人、共産党3人。ちなみにゲランは共産党)。



両端の女性が被っているのがブルカ、中央奥の女性が被っているのがニカブ(AFP)


政府はあらたな火種を増やしかねないこの提案に乗り気ではないようですが、その中でいち早く賛成したのがファデラ・アマラ都市問題担当相。彼女はマグレブ系のルーツをもち、郊外の女性にたいする抑圧を批判する女性団体「娼婦でも従順な女でもなく」のリーダーとして名を揚げた人物ですが、この提案も女性擁護の視点から賛成しています。


サルコジ大統領はと言えば、オバマ大統領がエジプトで行った演説のなかで、西洋諸国に住むムスリム女性が自らの意志でスカーフを被る場合にはそれを認めるべきだと述べたことに賛意を示した――もちろんフランスでは全面的にスカーフ着用が認められるわけではないことを断ってもいますが――ばかりで(ルモンド09.06.06)、この提案への支持をすぐさま表明するわけにはいかないでしょう。


イスラム教側の反応は、全仏ムスリム評議会(CFCM:国内のイスラム教諸団体を束ね、政府とのパイプ役を担う団体)のムハンマド・ムサウィ代表やパリ大モスク(CFCMの構成団体の一つ)のダリル・ブバクル代表など、一様にこの“マイナー”な問題が取り沙汰されることに驚きを表明しています。サン・ドニクリシー・ス・ボワなどフランスの大都市郊外を歩けば、ブルカを被った女性を見かけますが、しかしその数はそれほど多くありません。たしかに、数の面から言えば、マイナーな問題と言えます。


それではなぜ、ゲラン市長はこの問題を提案したのでしょうか?これはイギリスなどでも問題になっていることですが、市役所での結婚式(フランスでは市役所で挙げられる結婚式には市長かその代理人が立ち会う)やパスポート用の写真撮影のときに、ブルカを脱ぐことを拒否するケースがあり、ゲラン氏も、そういった事態に遭遇したのかもしれません。ちなみにゲラン氏が市長をするリヨン郊外のヴェニッシューはよく知られた“荒れる郊外”の一つです。


議員たちによる調査委員会の提案書には、かなり過激な言葉が書かれています。


「問題はもはや単にこれ見よがしの宗教的な意思表示をすることではなく、女性の自由および女性性を表明することにたいする侵害なのだ。ブルカやニカブを着ると、女性は閉じ込められ、排除され、侮辱されるという耐え難い状態に置かれる。女性の存在そのものが否定される。」(ルモンド09.06.18)


スカーフ問題のときも、スカーフ反対理由として、政教分離(ライシテ)と並んで、つねにこのイスラム教の女性差別批判がありました。しかし、もしもブルカを問題にしたいのであれば、この女性差別を争点にしないほうがいいでしょう。「ブルカは女性への抑圧だ」と言えば、その後にはきっと「私は誰かから強制されてではなく、自分の意志でブルカを着ているのです。ブルカは私の権利です」と主張する女性が現れるのは目に見えています。実際にそのような女性もいるでしょうし、仮に夫(父親)から被れと言われていやいや被っているとしても、他人から「お前の夫(父親)は女性差別的だ」と言われたら腹を立て、あらためて着用を自分の主体的選択として意味づけなおす女性もいるでしょう。そういった心情自体は、理解できることです。


スカーフ問題があれ程こじれた理由の一つも、この「イスラム教における女性への抑圧の有無」が争点に入り込んできたからでした。禁止派が「スカーフは女性への抑圧のシンボルだ」と言っても、当の女性本人が「私がこれを望んでいるのです」と言えば、この論理は空転します。公立学校でスカーフを着用するという行為は、他人の身体や生命を具体的に損なう危険をもたらすわけではありません。「他人の権利や財産、生命を侵害しないかぎり、自己にかんする事柄については自己自身が決定する権利がある」という自己決定権の原理に依拠するならば、スカーフ着用は(自己決定権の範疇外にある子どもなどを除いて)認められるべきであるということになります。そこでスカーフ着用を禁止するもう一つの論拠とされたのが、フランスが20世紀はじめ以来、国家の基本原理としてきた「ライシテ」(政教分離)でした。


それにたいして結婚式やパスポートの証明写真でのブルカ着用には具体的な弊害があると言えます。第三者に本人であることを証明しなければならない場所でブルカを被れば、本人確認の意味をなさないでしょうから。ゲラン氏たちが争点にすべきはそのことであって、ブルカが女性にたいして抑圧的か否かということは、実際に夫や父から強制された女性本人からの訴えがないかぎり、争点にすべきではないでしょう。