京都国際マンガミュージアム

Yumat2008-12-14

フランスで知り合った友人のL・Rが、とある創作プロジェクトのために京都に行きたい、ついては君は以前京都にマンガミュージアムとマンガ学科のある大学があると言っていたけど、誰か紹介してくれないか、と話を持ちかけられたとき、まあ紹介するくらいならと思って引き合わせたところ、成り行きでわざわざ京都まで行って通訳めいたことを務めることになり、金曜日も月曜日もびっしり授業が詰まっていて正直面倒だなという思いがよぎったものの、好奇心と、ブルターニュの彼の実家で世話になった“借り”もあって、強行スケジュールで京都へ行ってきました。京都国際マンガミュージアムでのM先生とUさんとの面会は、初回の打ち合わせとしてはまずまず無事に終わり、夜には二人で先斗町へ。久しぶりに来た先斗町には、ずいぶん外国人観光客が増えているようでした。


京都国際マンガミュージアムは、もともと「龍池小学校」という名の小学校でした。京都市のドーナツ化・少子化によって中心部の人口が減少し、小学校は統廃合によって移転、その後に残った建物が、国際マンガミュージアムとして生まれ変わりました。


使われなくなった工場や倉庫などをミュージアムとして再生させる手法はよくあるけれども、それらはたいてい、外観はそのままにするとしても、内装はほとんど全面改装する場合が多いと思いますが、ここはむしろ外側はかなり変えられていて、内装のほうが校長室、貴賓室、廊下、階段など、小学校時代そのままのところがあります。


内部の空間は通路を歩き、角を何度曲がってもまだ部屋があるような入り組んだ構造になっていて、通路の壁沿いに並んだ本棚にはマンガがずらりと配架されています。「順路」の類いの表示がないので、さながらマンガのラビリンスのようだけれども(ちなみにミュージアムのU氏によれば、通路の表示をしないのは、意図的にそうしているとのこと)、人々はこの中でさ迷うわけでもなく、思いおもいに好きなマンガを見つけ、通路沿いの椅子に座って熱心に――まるで建物の一部と化したかのように――マンガを読んでいます。


人工芝が敷き詰められた建物の前にある“もと校庭”ではコスプレショーが開かれていて、高校生らしき若い人たち(大半は女の子)が、思い思いに変身して自分たちの写真を撮っていました。ミュージアムの内部では階段でもコスプレをした女の子たちが写真を撮ることが許されているのに、校庭はフェンスで覆われ、外からは写真を撮らないようにとの掲示が。最初、外部からかなりはっきりと区切られ、と同時に外部から好奇の目で見られる空間というのが、少し動物園を思わせたのですが、決定的な違いは、動物園の動物と違い、この場所に来る人たちは、自分から進んでやってくること。


それにしても、他人に見てもらうためでないとしたら、彼女たちは何を求めてこの場所にやってくるのでしょうか。もちろんその答えは知る由もないのですが、もしかしたら、記号で全身を包み、日常生活のなかで背負うさまざまな社会的役割――「高校生」・「娘」・「女の子」などの――から束の間解放されることを求めて、ここにやってくるのかもしれません。そうだとしたら、コスプレとは、精神と身体の自由を求める行為とも言えるのでしょう。


記号に身を包むことによる自由、といったことを考えたとき、ふとムスリム女性のスカーフのことが思い浮かびました。欧米的視線から見れば女性の抑圧の記号となるスカーフだけれども、ムスリム女性の中には自ら進んで被る人もいる。そしてその理由の一つとして言われるのは、スカーフこそが、女性たちを男性たちの欲望のまなざしから守ってくれる、ということ。たとえスカーフを取り外しても、人は記号から自由になれるわけではありません。どのような服装も、そしてそもそも外見それ自体が、意図するとしないとにかかわらず、記号として意味を持ってしまうからであり、それは記号として意識されることのない記号です。女性に押しつけられた記号を拒否し、自分の望むように着て、振舞うとしても、身体の記号性を消去することはできない。そしていつしか、逃れたはずの記号に束縛されてゆく。それにたいしてスカーフは、もちろん記号だけれども、自らが記号であることを隠さない。それは身体を覆うことにより、身体の記号性を目立たなくする。そうしてスカーフを被る女性は、単一の記号に身を包むことにより、まなざされる対象としてのさまざまな束縛から自由になれる――これが、ムスリム女性によるスカーフ肯定論の一つです。


もちろんコスプレとスカーフの間には多くの違いがあり、両者の類似性というのは連想の域を出ません。しかし、アニメ的衣装であれ、宗教的衣装であれ、あからさまに記号的な衣装に身を包むということ――もちろんそれは女性特有の現象ではない――が、当人にとって、社会生活の束縛を遮断し、ある種の自由を体感させうるものであるという点にかぎって言えば、二つは似ているのかもしれない――アニメ的衣装を着て、くつろいだりはしゃいだり、あるいはポーズをとったりする人たちを見ながら、コスプレが人を惹きつける理由を漠然と考えているうちに、そんなところに考えが迷い込んでしまいました。


ともあれ、ミュージアムという言葉から連想される建物を想定していると何かと驚くことも多いこの建物が、ひときわユニークな場所であることはたしかです。