失われた沖縄の記憶

Yumat2009-03-16

先週の金曜日から、研究会参加のため琉球大学に来ました。沖縄に来たのは高校の修学旅行のときが最初で、その後、大学院生時代に二度(そのときはほとんど西表島だったけど)来たから、今回は四度目。せっかく十年ぶりくらいで来たのに、月末の別の発表の準備のため、ほとんど観光する時間もなく、琉球大学のゲストハウスでちょっとした軟禁状態となってしまいました。


それにしてもこの琉大、緑に囲まれた敷地はとても広大で、キャンパスの中に環状道路が通り、車が頻繁に通っています。学生さんも車で通う人が結構いるそうで、だからまわりに食事をするところがとても少なくて最初に来たときは学生たちはどうしているのだろうと疑問に思っていたのだけど、それほど困らないのだとか。なんだかアメリカの大学のようだなと思っていると、もともとこの大学は1950年にアメリカ軍によって設立されたと知って納得。しかし食事の場所の少なさは、ビジターにとっては非常に困るわけです。


それはともかく、この広大な緑の敷地のなかに立ち並ぶ建物はどれもこれもかなり新しそうで、なんとも国立大学に似つかわしくない(?)豪華さがあります。とくに研究会がおこなわれた部屋は文系総合研究棟の7階にあり、広く取られた窓からは遠くに海が見えて贅沢感を感じさせます。



日曜日、研究会後に他の参加者たちと一緒に県立博物館・美術館へ行き、企画展「移動と表現」を見ました。沖縄は、行政・大学・その他さまざまなところで、つねに外部世界とのかかわりをつうじて形成されてきた自分たちの歴史と向き合おうとする姿勢が顕著なところですが、この企画も、日系移民の有数の送り出し県ならではのテーマでした。


その後は国際通りを歩いてとある居酒屋へ。高校生の時、そして大学院生の時に来て歩いているはずのこの通りをあらためて歩いてみて、頭の片隅に断片的な記憶として残っているこの通りの光景とまったく重ならず、若干の戸惑いを感じました。それは、自分の知っている光景が開発などのために喪われてしまった、という感覚ではなく、個々の建物はもちろん、建物の連なりがかもし出す街並みとか、通りの大きさや方向まで根底的に異なっている感じがして、どうも過去の光景と現在のそれとがまったく別のものに見えてしまうという感覚で、過去の記憶を呼び覚ます手がかりとなるような風景との出会い、高校生の頃の自分との再会をひそかに期待していたぶん、この出会い損ねに若干の落胆を禁じえませんでした。それほどまでに街が変わってしまったためなのでしょうか。それとも、それほどまでに自分が街を記憶していなかったためなのでしょうか。いつか機会があれば、もっと時間をかけて歩き回ってみたいものです。