オランダ紀行(4) : アンネの家のこと

Yumat2010-09-06

オランダを離れ、パリに来てすでに5日になりますが、書き残したことが一つあるので、ここでそれを。


オランダがナチスに占領されていた頃にアンネ・フランクとその家族が隠れて暮らしていた家は、今ではアムステルダム有数の観光資源となっていて、夜の9時まで開館しているのに、最後まで行列が途絶えないほどです。

アンネと家族が隠れて暮らした部屋の数々を見終わると、出口付近に一室あり、そこには四方の壁それぞれにテレビモニターがかけられていて、同じヴィデオ上映がされています。


ヴィデオでは現代の世界で起こっている人種差別にまつわる事例について2〜3分ほどで短く紹介され、それが終わるとその場にいる来訪者に賛成・反対のかたちで問いかけ、来訪者が手元にあるスイッチで意見表明をすると、直ちに集計結果が表示され、続いて今までの全来訪者の回答の集計結果が示されるという仕組みです。


以下のものは全て、ヴィデオで取りあげられていた事例です。

・イタリアの公立学校には十字架がかかっている。ある女性が、自分の子供には宗教的に中立の教育を受けさせたいとして、裁判所に十字架の撤去を求めて訴えた。学校や政府は存続を希望し、世論のなかにも、十字架は宗教的シンボルのみならず、イタリアの伝統の一部だと主張する人もいるが、EU裁判所はこの女性の訴えを支持した。(この後に、「あなたは公立学校の宗教シンボルは撤去されるべきだと思いますか?)という質問が続き、来訪者が「はい/いいえ」のボタンを押す。以下同様)
・ドイツで一部の若者が着るネオナチのファッションは、個人の選択の自由として許されるべきか、それとも禁止されるべきか?
・日本で、ヒトラーの『我が闘争』がマンガ化されて出版された。ドイツやオランダでは、この本の出版は禁止されている。このマンガも発禁にされるべきだろうか、それとも出版や表現の自由という観点から認めるべきだろうか?
・ベルギーの学校がイスラム女性のスカーフ着用を禁止する決定を下した。この決定に賛成か反対か?
・ある若者が、FACEBOOKホロコーストを否定する書き込みをした。ドイツでは、ホロコーストを否定する発言は有罪となる。FACEBOOKの会社はこの書き込みを削除した。この決定は正しいか、それとも表現の自由の観点から書き込みは認められるべきか?
ルーマニアでは、ロマ(俗に言う“ジプシー”)の人口は約1割。ロマの排斥およびルーマニア人のためのルーマニアを求める政党が結成され、選挙である程度の票を獲得している。 政府はこの政党を非合法化したがっている。非合法化に賛成か反対か?
・イギリスのバーミンガムで、反ムスリム団体BNPがデモをした。この団体がデモをすると、このデモに対抗してムスリムの若者のデモも行われ、しばしば暴力的な衝突となって終わる。BNPの活動は禁止されるべきか?


トピックは全て、実際に世界で起こった事例のようです。これらの問題は、政教分離にかんするもの(イタリアの十字架とベルギーのスカーフの事例)と、個人の基本的自由(表現の自由、出版の自由、結社の自由、集会の自由)のあり方に関するものに大別できるでしょう。前者は人種差別とのテーマ的なつながりはそれほど強くないように思いますが、後者は、個人が自らの基本的権利としての自由権の範囲内で、人種差別的な行為(ルーマニアのロマやバーミンガムBNPのように人種差別的な意図をもっている場合もあれば、日本のマンガのようにその意図はおそらくないけれども結果的にそれを助長しかねない場合もある)選択をした場合――いわば権利が“悪用”された場合――にどう考えるべきか、という現代の人種差別をめぐるジレンマに焦点を当てています。


このように見るならば、この例題のリストにはムハンマド風刺画事件が加えられてもよかったかもしれません。ヨーロッパ諸国がホロコーストにかんしては表現の自由を制限するのに、ムハンマド風刺画を掲載した新聞を表現の自由の名において擁護したことは、イスラム教徒にしてみればダブル・スタンダードと感じられ、問題が複雑化したのでした。


人種差別を助長する可能性がある行為にかんしては、個人の自由権に一定の制限を課すことは正当化されるのかどうか?課すとすれば、どのような条件で課すのか?その制限が個人の基本的権利の抑圧につながる可能性はないのかどうか?制限を課さないとすれば、どのような代替案があるのか?


アンネの家は、彼女の父オットーが設立したアンネ・フランク財団によって運営されています。この財団は人種差別の根絶を目的にして活動を行っており、このアンネの家の運営自体がその活動の一例ですが、ヴィデオの編集に特に回答を誘導するような意図は感じられず、実際、現来訪者の集計結果と、来訪者全体の集計結果が食い違うこともあり、回答は多様でした。



人種差別の根絶という抽象的な主張にとどまらず、現在の世界で実際に起こっている具体的な事例に即してどのように考えるべきかを一人ひとりで、そして同時にみんなで議論すること。それこそが、自由が闇雲に制限されたり権利が無闇に悪用されるのを防ぐために必要なことだと、この部屋は世界からの来訪者に語りかけているようです。



Olafur Eliasson, Notion Motion@Museum Boijmans Van Beuningen, Rotterdam