調査実習報告書『三池炭鉱−地域の記憶、世界の遺産』

Yumat2012-04-13

昨年度、三池炭鉱をフィールドにおこなった調査実習の報告書『三池炭鉱−地域の記憶、世界の遺産』が完成しました。教員2名(もう一人は同僚の文化人類学者・慶田勝彦氏)、学生35名による大がかりな調査で、A4サイズで220ページを超える内容になっています。


三池炭鉱は、すでに完全に閉山してから15年以上が経ち、今では地元以外では1960年の三池争議と、1963年に450人以上の死者を出した炭じん爆発事故によって知られているのみです。もちろんこれらは、三池炭鉱を語る上で避けて通れない出来事であり、今でも地元に大きな影響を残しています。


今回の調査では、この出来事をふまえつつも、二つの違った観点からフィールドに迫り、三池の一般的な理解をより豊かにすることを目指しました。一つ目の観点は、「炭鉱の日常」です。炭鉱での人々の日々の暮らし、とりわけ「炭住」と呼ばれる長屋式の社宅でも暮らしの記録は、その日常性ゆえに、炭鉱史の中で語られることが少ないのですが、しかし争議や事故といった、“非日常的”な出来事だけでなく、“日々の普通の暮らし”を記録しておくことも、炭鉱が閉山し、炭住が消滅した現在、重要な意味があるでしょうし、また、争議や事故などの出来事も、そのような日常をふまえ、そこからあらためて見ることによって、その重さをよりいっそう理解できると考えました。


二つ目の観点は、現在進行中の、「世界遺産(候補)としての三池炭鉱」です。現在、三池炭鉱遺構を含む九州各地の産業遺産を世界遺産にする動きが、関連自治体を中心に進められており、2009年に文化庁の国内審査を通過し、世界遺産の暫定リスト入りするところまで来ています。


九州・山口の近代化産業遺産群HP
http://www.kyuyama.jp/


すでに役目を終えた古めかしい近代産業の遺物が、なにゆえに世界遺産に?というのが、この調査の最初の問題意識でした。争議や事故などの「負の遺産」を抱えた街が、華やかなイメージのある世界遺産という装いをどのように受け入れるのか−この疑問を携え、行政関係者、NPO団体、観光業界、一般市民の方々にインタビュー調査を行いました。


報告書は二部構成となっていて、第一部「地域の記憶:炭鉱(ヤマ)の生活史」は、上記の一つ目の観点に、第二部「世界の遺産:三池炭鉱の現在」は、二つ目の観点に、それぞれ沿って行われた調査です。


昨年度一年間をつうじて、実に多くの方々にお世話になりました。炭鉱についてほとんど予備知識ゼロの状態から始めたこの調査が、ともかくもここまで到達することができたのは、さまざまなかたちで協力していただいた皆さんのおかげです。この場をお借りして、あらためてお礼を申し上げます。


報告書はいくらかストックがありますので、ご興味のある方はご連絡ください。



P.S.(5月12日)
この報告書のことが熊本日日新聞(5月10日)に掲載されました。