震災は続いている

Yumat2011-05-12

地震の発生からほぼ2カ月後になるゴールデンウィークの期間中、宮城県を訪れた。地震直後はあらゆる交通網が遮断されていたが、かなり復旧しているようで、大きな困難もなく現地に入ることができた。


仙台空港は、仮設のカウンターや手荷物受取所でようやく動いている状況だけれども、それでも空港の敷地内はきれいに泥を掃きとられ、隅のほうに寄せられたがれきや、わずかにエスカレーターの壁についた泥の跡が、津波の痕跡として残っているぐらいだった。


空港周辺は、まだ一面がれきだらけだが、道路は、かなり細いものに至るまでがれきが脇によけられ、車で行き来できるようになっている。


新幹線は、本数を減らし、ふだんより少しゆっくりとした運転ながら、問題なく走っている。


松島の瑞巌寺周辺では、ほとんどの店が閉まったままで、唯一開いていた店は本来かまぼこ屋だったそうで、しかし津波で設備がすべて壊れ、お汁粉とコーヒーだけを細々と提供していた。乗ってはいないけれども、ゴールデンウィークにあわせて観光船は再開したようだ。


起こった出来事の甚大さを考えると、2カ月でここまで回復するということに驚かされる。けれどもそれ以上に強く感じたのは、この地域はまだまだ震災「後」ではなく、震災のただ中にあるということ。地震の強い揺れが収まり、津波が引き、ライフラインが復旧し、最低限生き延びることができるようになったということは、震災の終わりを意味しない。


沿岸部には一面がれきの山が広がり、ぼろぼろになった家具や車が散乱している。仮設住宅にさえ入れず避難所生活を続けている人や仕事を失ったままの人は何万人もいる。余震は文字どおり毎日起こっている。そして福島原発事故のリスクはまだまったく解決していない。


他方、テレビからは、それ自体が非日常の記号ともなっていた公共広告機構のCMが消え、新聞には震災関連以外のニュースが一面のトップ記事に載るようになった。人々の会話からも震災のことが話題になる機会はしだいに減り、至るところで“日常”が回帰している。言いかえれば忘却が進行している。


多かれ少なかれそれは不可避であり、ある意味で不可欠かもしれない。極度のショックを体験した後、その体験をいったん忘れることは、一種の防衛反応でもあるから。しかし、それが本当に必要な声さえも黙殺する日常の専制になってはならないとも思う。なぜなら、震災はまだ続いているのだから。