オランダ紀行(2) : 交通空間のゆるさについて

Yumat2010-08-29

たとえば二本以上の道路が交差するとき、日本では、よほど交通量が少ないところでないかぎり、たいてい信号によって交通が制御されます。もちろんヨーロッパにも信号はあちこちにありますが、交通量の多い交差点であるにもかかわらず、信号がない場合もあります。そのような交通空間を可能にする仕組みの一つが、ラウンドアバウトでしょう。その原理は、複数の道路の交差点を中心に円状の道路を設け、一つの道路から交差点に入ってきた車は、この円をまわりながら、自分の行きたい道に曲がってゆくというものです。もっとも有名なラウンドアバウトの一つは、パリの凱旋門のそれでしょう。ここには凱旋門を中心にして12本の道路が放射状に伸びてゆき、門を取り囲む道路には、大量の車がまるで水族館のいわしの群れのように、同じ方向にぐるぐると流れています。これでよくも事故が起こらないものだと、信号のある交差点に慣れている日本人の眼には見えるわけですが、このラウンドアバウトに象徴される交通空間の成り立ちが、ヨーロッパにおける社会関係の象徴として、時として語られることがあります。すなわち、ヨーロッパ社会では、(信号のような)外的・他律的な規制によって人々を制御するよりも、人々自身の内的・自律的な判断によって相互の関係を制御することが重視される、というふうに。かつて田中康夫氏が、どこかでそのような意味のことを言っていたと記憶しています。


しかしラウンドアバウトは、たしかに信号のような外的規制はないけれども、ラウンドアバウトそのものが、ある意図のもとに設計された装置であり、ラウンドアバウトに乗り入れる運転手は、自らの判断でそこに入り、他の車との間合いを測りながら、そこから出ていくけれども、そのタイミング以外にかんして、自主的判断の余地はありません。逆走することはもちろんどんな道路でもできませんが、止まったり、戻ったりすることもできません。また、そこにはそもそも車しか入れません。ラウンドアバウトのなかでは、自主的行動は一定の方向で収束するよう水路づけられているわけです――まさしく水族館のいわしの群れのように。


これでいくと、オランダの街はかなりな程度、自主性を尊重していると言えるかもしれません。と言っても、この国にもあるラウンドアバウトは、別段他と変わりません。むしろそれ以外のところ、たとえば人通りが多い中心街の交通空間を見て、そのように思ったのです。道路はトラム用、車・バス用、バイク・自転車用、歩行者用とレーンがわかれていますが、トラムの線路とそれ以外の道路に段差や仕切りがあるわけではなく、横断歩道もあまりないので、歩行者はてんで勝手にトラムの線路を横断してゆきます。その結果、トラムと歩行者が至近距離で交差するということも起こるけれども、トラムがあまりスピードを出さないので、危険な事態にはならないようです。


これはアムステルダムの次に訪れたデン・ハーグでも同じようで、しかもデン・ハーグには、信号自体があまりありません。もちろん街の隅々まで見たわけではもちろんありませんが、見たかぎりでは、HS駅近くにあるだけで、中心街や中央駅付近にはないようです。デン・ハーグは、人口50万人弱の町だから、交通量が少ないから信号を設置していないというのは明らかに違います。もしかしたら、信号がないほうがトラムや車の運転手は常に注意しなければならず、スピードを出せないのでより安全になるという判断で、わざと設置していないのかもしれません。実際、トラムはわりとこまめに一時停止します。


信号のような法的規制も、ラウンドアバウトのようなシステム的制御もないところで、立ち止まるという個々人の単純な動作によって事故を回避するという、この交通空間の“ゆるさ”に、物事を個々人の自主的判断に委ねるオランダ社会の姿を垣間見たのでした。


アムステルダム 戦没者記念塔前を走るトラム


デン・ハーグ 市立図書館前の交差点


同上 信号も横断歩道もない