最小限の暴力:聖火リレー騒動について

Yumat2008-04-08

ここ二、三日、パリは時折急激に寒くなり、雪がかすかに舞うくらいだったのですが、昨日の聖火リレーはかなり熱くなりました。


昼の12:30にエッフェル塔から出発し、シャイヨ宮、凱旋門シャンゼリゼ通り、コンコルド広場、ルーヴル美術館、パリ市役所、オルセー美術館、国会議事堂といったいかにもなルートを通り、最終的に夕方17:00にシャルレティ競技場へいたる全長28kmに及ぶ道のりで、スタート地点のエッフェル塔チベット人とその支援者の集会が開かれるシャイヨ宮・パリ市が何らかのメッセージを記したポスターを掲げることが告知されていたパリ市役所の三箇所で、見てきました。


まずエッフェル塔革命記念日のパレードのときほどの人だかりではなかったけれども、中国の国旗を持った人と、国境なき記者団が作成した、黒字の背景に五つの手錠で五輪を模った旗を持った人、そしてチベットの旗を持った人が入り乱れていました。それ以上に目についたのは警官の多さ。聖火ランナーが通り過ぎる時間が近づくと、道の両側の沿道には柵が設けられ、さらに警察車両を縦列駐車させて完全に防いでしまい、物理的に闖入不可能な状態にしてしまいました。それでも、聖火ランナーが通り過ぎた後、柵を乗り越えようとしたチベット人とその支援者がいて、何人か警察に取り押さえられ、連行されてしまいました。とはいえここでは、中国人とチベット人およびその支援者とが混在していて、ときおりシュプレヒコール合戦になったものの、それほど大きな混乱はなく終わりました。



次はシャイヨ宮へ。最寄り駅のトロカデロは聖火ランナーが通るからという理由でメトロが止まらなかったので、その前の駅で降りて現場へ。ここではもっぱらチベット人とその支援者(その一つがアムネスティ・インターナショナル)たちの集会があり、ごくわずかにいた中国人は、中国の現体制批判をする側の人たちでした。ざっと見て30メートル×40メートル四方くらいのスペースを、中国政府批判ないしチベット擁護の旗やステッカー、チラシを持った人たちが、埋め尽くしていました。ちなみに、以前この同じ場所で、法輪功のメンバーが、中国政府によるほう臨港の弾圧を告発している集会に遭遇したことがありますが、今日この場所が選ばれたのは、たまたまだったのでしょうか。


いろんな旗を見ていると、なかに水色の背景に三日月と星が描かれているものがあり、見るからにイスラム教国の旗なのですが、記憶にないのでその旗の持ち主に聞くと、ウイグルの旗だそうで、彼によれば、ウイグルチベットと同じ状況なのだとのこと。その他にも、中国がヴェトナム近海を占有したことに抗議するヴェトナムの人々や、体制批判をして交流された中国人の解放を求める人など、など、中国政府への批判という点で一致する人々が結集していました。


水色の旗がウイグルの旗


そして最後にパリ市役所へ。市役所前の広場も当然ながら人だかりで、市役所建物の正面には「パリは世界中の人権を守ります」との横断幕が。ここの参加者はエッフェル塔と同じく、中国人と、チベット人とその支援者とに二極化されていて、それ以外の人々はいないようでした。中国の人々のあいだでは中国国旗と同時にフランス国旗もたくさん掲げられていました。チベット人はそこから少し離れたところに集まっていて、そのあいだをフランス人(ほとんどはチベット支持、中国政府反対の立場)が埋めるという状況でした。熱さの点ではシャイヨ宮も熱かったですが、激しさの点では、市役所が一番でした。小競り合いや、言い争いがあちこちで起こり、途中で集団的な押し合いが続いて乱闘になりかけたことも何度かありましたが、それは中国人と、フランス人のチベット支援者とのあいだで起こったのではなく、フランス人と憲兵とのあいだでのものでした。聖火ランナーが通る少し前、市役所の横断幕の横の窓が開き、中にいた人(ドラノエ市長ではない)がチベットの旗をかざすと、一斉に広場から歓声が。横断幕と合わせて、パリ市として、控えめながらかなり明確なメッセージを発したといえるでしょう。そして聖火ランナーが通ったときはブーイングの嵐。ランナーが過ぎ去った後も、いたるところで中国人とフランス人とのあいだで議論が繰り広げられました。



市役所建物正面に横断幕

チベット人とその支援者たち


それにしても、これほどオリンピックが政治問題化したのは、1984年のロサンゼルス・オリンピック以来でしょうか。今回の一連の騒動には、チベット問題そのものの問題もありますが、それと同時に、政治問題をオリンピックに絡めること、またその絡めかた(開会式のボイコットおよび聖火リレーの妨害といった手段)の是非という問題もあります。ある知人に今日の一連のことを話したら、返ってきたのは「チベット問題にたいする中国政府の対応に反対なら中国政府を批判するべきであって、オリンピックを自らの政治的主張の道具にすべきではない、またたとえオリンピックや中国政府に反対だとしても、聖火リレーの妨害はやりすぎだし、そんな暴力的な手段を使って阻止することは、スポーツをつうじた世界平和の実現というオリンピックの理念を汚すことになり、そこに参加することを望む人たちの権利を奪うことにもなる」との意見。デモやボイコット、ストといった実力行使型の社会運動が廃れて久しい日本では、もしかしたらこのタイプの意見を持つ人はけっこういるのかもしれません。そしてその思いは、さまざまなニュースでの騒乱の映像をくり返し見ることをつうじて、強められてゆくことでしょう。


しかし、「スポーツと平和の祭典」であるオリンピックは、これまでもしばしば政治問題と絡められてきたし、オリンピックが平和を理念として謳う以上、それは避けられないことでもあるでしょう。オリンピックが平和の祭典であると謳われるほど、それが行われる場所がその理念にそぐうかどうかに敏感な意識が生じやすくなるからです。平和の祭典にもかかわらず政治化するのではなく、平和の祭典だからこそ、政治化するのです。


それに、今回のイベントへの反対者たちによって行使された、あるいは行使されようとしている「力」は、けっして誰かに直接物理的な危害を加えるものでも、誰かの権利を侵害するものでもありません。たとえば聖火を持って走っているランナーは、沿道で叫び声を挙げる反対派の人々を見て少し恐怖を感じたかもしれませんが、しかし人々の反対の意志は、長さ72cm、重さ約1キロの火を灯した“筒”に向けられていたのであり、人に向けられていたわけではないし、ボイコット論を唱える人のほとんども、あくまで開会式のボイコットという意見であり、アスリートたちの参加する権利を奪う本大会のボイコットまで主張しているわけではない。つまりそれらは、象徴的な意味合いの強いものです。


とはいえ、ボイコットと聖火リレーの妨害のあいだには、違いがあるのもたしかです。ボイコットが、自らが好まない対象から離脱することであるのにたいし、聖火リレーの妨害は、自らが好まない対象を阻止することであり、後者は「嫌いなやつは消してしまえ」という発想にもつながりかねないからです。


しかし、チベット人たちがなぜそのような実力行使に出ようとしたのかということも考えないといけません。チベット問題は以前から存在していたけれども、3月にチベットで「暴動」が起こり、それを契機としてチベット問題とオリンピックとが接続されたからこそ、これだけの世界的な注目を集めたのでした。オリンピックがなければ、ここまでチベット問題に注目が集まることはなかったでしょう(チベット問題がこれほど注目されたもう一つの理由として、フランス人のなかにある一種の中国脅威論もあったと思いますが、その辺りを書き出すと長くなりすぎるのでまた別の機会に。)


くり返して言えば、聖火リレーの妨害をかりに暴力と呼ぶとしても、それは人に向けられたものではなく、小さな筒に向けられた、象徴的な意味合いの強いものであり、その意味は世界の人々に知られるところとなりました。自分たちの意志を表明し、実現するための政治的手段も持たず、武力闘争のような手段も使えない(し、使わない)状況において行使されたこの暴力は、最大限の効果を発揮するための最小限の暴力だったように思えます。


一昨日、ラマ・ヤド人権問題担当大臣がルモンド紙のインタビューで、フランスの開会式参加の3つの条件を語り、それは中国政府がとても呑みそうにないものでしたが、閣内でどういう議論があったのか、翌日には当の大臣が「条件という言葉は使っていない」といい、この話は無理やりなかったことにされました。はたして最終的に、どのような決定がなされるのでしょうか。