ナディン・ラバキ『キャラメル』

Yumat2008-03-11

3月8日は国際女性の日。それにあわせて、フランスでもさまざまな催しがありました。アラブ世界研究所Institute du monde arabeでは、5日から9日まで、アラブ諸国出身の女性監督の作品を毎日2本ずつ、計10本上映するイベントがありました。上映作品は以下のとおり。


5日  
Djamila Sahraoui『バラカ!』(2006、アルジェリア
Laila Marrakchi『マロック』(2004、モロッコ/フランス)
6日 
Joana Hadjithomas & Khalil Joreige『完全な日』(2005、
      レバノン/フランス/ドイツ)
Kamla Abou Zikri『愛、情熱』(2006、エジプト)
7日 
Nadia Cherabi-Labidi『鏡の裏側』(2007、アルジェリア
Moufida Tlatli『ナディアとサラ』(2004、チュニジア
8日 
Nadine Labaki『キャラメル』(2007、レバノン/フランス)
Jocelyne Saab『ドゥニア』(2005、レバノン/エジプト/フランス)
9日 
Hala Khalil『カット&ペースト』(エジプト、2006)
Narjiss Nejjar『ウェイク・アップ・モロッコ』(2006、モロッコ/フランス)


このうち6日の2作品以外を観ることができました。これだけ集中的にアラブ諸国の映画を見たのは初めてで、それだけにインパクトも大きいものがあります。女性を抑圧する宗教や伝統の縛りとそこからの解放を求める女性との葛藤という構図――前回のブログで書いたアヤーン・ヒルシ・アリにおいてまさに体現されているような――が一種の共通テーマになるのかと思いきや、それをストレートに押し出しているのは『ドゥニア』くらいで、その他の作品にも多少なりともそういう場面は出てくるものの、全体としてはむしろその枠に収まりきらない、アラブ世界の女性の多面性を描き出しているところが、強く印象に残りました。


ごく簡単にストーリーを紹介すると、原理主義勢力にジャーナリストの夫を誘拐され、救出に向かう女医(『バラカ!』)、パーティやファッションに夢中な高校生の女の子がユダヤ人の彼氏と恋に落ちたことから生じる波紋(『マロック』:これは監督の実体験をもとにした作品とのこと)、自分の子をタクシーに捨てざるを得なかった女性と、その子どもを受け取って育てたタクシー運転手との関係(『鏡の裏側』)、若さ溢れる高校生の美しい娘にたいし、自分の容色の衰えを意識させられ、徐々に娘との関係も難しくなり、自らの女性性と折り合いをつけることもできず、徐々に精神に変調をきたしてゆく女性(『ナディアとサラ』:教師を仕事とし、線が細く神経質そうな美しい女性が、若さが放つ抗しがたい魅力を前にして自我が崩れてゆくというストーリーは『ピアニスト』にも通じるものがあり、実際この映画の主演女優のだんだん壊れてゆく演技はかなり鬼気迫るものがある)、美容院に集い、日々の暮らしのなかで誰もが抱えそうな悩みや喜びを抱えて生きる5人の女性たち(『キャラメル』)、大学でスーフィズムの詩を専攻し、プロのダンサーになることを夢見て練習に励む女性(『ドゥニア』)、鬱屈した日常から抜け出してニュージーランドに移住するために、偽装結婚をもくろむ女性(『カット&ペースト』)、過去に悔いを持った元サッカー選手の老人が、サッカーをつうじて夢見るモロッコの未来(『ウェイク・アップ・モロッコ』:この作品は監督は女性だが、映画自体はとくに女性に焦点を当てた映画ではない)、と、その多面性が垣間見えることと思います。


そのなかで、個人的に一番面白かったのはナディン・ラバキ監督の『キャラメル』。ベイルートのとある美容院`Si belle`ではライラ、ニスリン、リマの三人の女性が勤めていて、そこに常連客のジャミルが入り浸っている。美容院の隣の仕立て屋を営む初老を迎えた女性ローズが時々やってくる。ライラは妻子ある男性と不倫関係にあり、ニスリンはもうすぐ結婚するが処女でないことが悩みの種で、リマは同性愛的傾向がある。ジャミルは女優になることを憧れているが、もう若くはないことを気にしている。そしてローズは、ボケの入った姉のリリの世話に手を焼きつつ、客としてやってきた老紳士と、淡い老いらくの恋に落ちる、というふうに、何の変哲もない日常生活のなかで、悩みやささやかな喜びを抱いている女性たちの物語が、とてもユーモラスかつ優しく描かれています。


タイトルのキャラメルとは、あのキャラメルのことで、レバノンでは女性の脱毛に使われるそうです。彼女たちが日常には、キャラメルで毛を抜くときの、一瞬の痛みにも似た苦痛のときもあり、キャラメルの味のように甘美なときもある。そのようなレバノン女性の生活を、滑らかなタッチで描き出しています。この作品には二つの不在があります。一つは、戦争の不在。もうずいぶん長いこと、戦争がたびたびこの街を襲ってきました(現に、この映画の撮影直後に、新たな戦闘があったという)。しかし、あえてこの映画では戦争を喚起させるようなものはまったく描かれていません。それは、大問題から日常生活への逃避という消極的な理由によるのでは、おそらくないでしょう。世界の国のなかには、ほとんど戦争をつうじてしか知られることのない国があります。そのときその国の人々は、二重の意味で犠牲者です。一つには、戦争のブル知的な被害を被る点として。そして二つには、戦争のイメージでしか見られないという点で。レバノンは、(少なくとも多くの日本人にとっては)そのような国の一つでしょう。戦争のイメージに彩られたこの国に、これほどユーモアと愛情に満ちた生活があることを教えてくれるこの作品は、レバノン女性たちが戦争のイメージの犠牲者となることから救い出してくれる映画だといえるでしょう。


二つ目の不在は、ライラの不倫相手の男性。姿が一瞬画面に現れることはあるけれども、けっしてその顔は観客からは見えないようにされていて、彼の妻子が登場人物として現れるのと対照的です。しかし、男性全体がこの映画から排除されているわけではなく、警察官やローザと親密になる老紳士など、とても感じのよい男性として描かれています。だからこの不倫相手の不在をどのように理解すればよいのか、よくわかりません。登場人物のなかで唯一共感しえない存在であるがゆえなのか、それとも作品全体のポジティヴさを優先させたかったからなのか。いずれにしても、この映画は反戦や女性の自由といったメッセージが直接的に語られるわけではないにもかかわらず、作品それ自体がポジティヴなメッセージに満ちています。とくにラストの数十分はすばらしい。役者一人ひとりがとても表情豊かに個性的な役柄を演じていて、クローズアップで映し出されるその顔は実に魅力的。随所に挟まるコミカルな場面のセンスも秀逸です。