クリスマスは続く

Yumat2007-12-27

日本では12月25日を過ぎると一挙に年末年始モードに切り替わるので、今頃クリスマスのことを話題をするのはすでに場違いな感じがするでしょうが、フランス(あるいはキリスト教圏全体?)ではそういうわけでもなく、クリスマス・シーズンは1月はじめ頃まで何やかやと続くようです。地下鉄の駅に貼ってあったユーロ・ディズニーの広告に、「ディズニーランドではクリスマスは1月6日まで」なんていうキャッチコピーがあって、いくら商売のためとはいえ、年を越してまでクリスマスなんて、と思ったんですが、クリスチャンの知り合いによれば、キリスト教では1月6日というのはエピファニー(公現祭)という祭日で、この頃までクリスマスシーズンが続くので、根拠がないわけではないとのこと。クリスマスって、そんなに続くものだったんですね。


でも、24・25日が一番盛り上がるのはやはりこちらでも同じ。24日夜には何人かでノートルダム大聖堂のミサに行ってきました。午前0時から始まるパリ大司教の説教が、いわばメイン・イベントですが、この頃には観光客や地元の信者さんたちで一杯になっているので早めに行こうということで、22時前には着きました。それでもやはり中央列の椅子には座れず、廊下に並べられた椅子にしか座れない込みようでした。



キリスト教のイメージ映像を観て、聖歌隊の賛美歌を聴き、午前0時を少し過ぎたころ、アンドレ・ヴァン=トロワ大司教の説教が始まりました。「ヴァン=トロワ」Vingt-Troisとは、フランス語で数字の「23」の意味。何とも不思議な苗字ですが、本人の説明によれば、この風変わりな名前は、先祖が名前もない捨て子だったところから由来しているのではないか、とのこと(ウィキペディア・フランス語版より)。説教の大半は普通の声の調子で語られるのですが、数分間だけ、独特の声の調子で聖書をよむときがあり、それが仏教のお坊さんがお経をよむときの抑揚に何となく似ているのが印象的でした。キリスト教と仏教、フランス語と日本語と、まったく状況は違うのに、経典をよむときの抑揚が似るというのは単なる偶然なのか、それとも、言葉を日常的次元から切り離し、聖性を持たせようとするとき、しばしば同じような調子になるものなのか?宗教的言語の発話内容(メッセージ)については多くの研究があるけれども、発話形式(語り口)についての言語学的・音声学的研究というものがあれば面白いかも…などと余計なことを考えているうちに、24時に始まった23大司教の説教は終わりました。時計を見ると、すでに1時半近く。外に出ると、クリスマス・ツリーがいっそう輝いていました。