スタッド・ド・フランスがスタッド・ド・マロックになった夜

Yumat2007-11-17

スタッド・ド・フランスといえば、サッカーファンなら誰もが知るとおり、フランス・サッカーの“聖地”であり、数々のドラマを生みだしてきた場所です。1998年のワールドカップジダンを擁するフランス代表が優勝し、一躍このチームはフランス的多様性の統合のシンボルになりました。日本人にとっては、2000年にトルシエ監督率いる日本代表がフランス代表と戦って0−5と大敗したという苦い記憶があります。2001年10月にはフランス―アルジェリアの試合で、多くのアルジェリア・サポーターが試合途中になだれ込んで中止になったこともありました。もともとアルジェリアはフランスの植民地で、スタッド・ド・フランスのあるサン・ドニアルジェリア人をはじめ移民の多く住むパリ郊外、しかも試合が行われたのは2001年9月11日から間もないとき。そんなことが積み重なって、ただでさえ熱気に包まれるスタジアムが尋常でない興奮状態にあっただろうことは想像に難くありません。しかし今日は、それがより具体的に理解できた気がしました。


今日は21時からフランスとモロッコの親善試合がありました。ストが続き、電車は極端に本数が少なくなっているにもかかわらず、スタジアムは満員。2001年のような事態を避けるためか、会場の内側も外側も、半端ではない数の警備員や警察、機動隊がいました。会場に入ってまず目につくのは、モロッコ代表のサポーターの多さ。スタジアム中にチームカラーの赤色が目立ち、対照的に青色はほとんど目立たず、わずかにトリコロールのフェイス・ペインティングをしたり、フランスチームの旗を控えめにかざす人がまばらにいるくらいでした。



赤色の目立つスタジアム

こんな衣装の人も


応援もモロッコ側のほうが圧倒的で、正直それほどすごいわけでもない普通のプレーでも、モロッコチームの選手のプレーには、地響きがするほどの応援が送られます。フランス側の選手へはほとんどブーイングですが、唯一、声援が送られたのが、アラブ系の選手。フランスはホームゲームなのに、まるでアウェーゲームのような状況だったのは、ちょっとかわいそうな気もしますが、強かった頃のフランス代表ならば、かわいそうなどという気をまったく起こさせないほど、余裕で勝っていたことでしょう。フランス側は攻撃の主力選手が欠場していたこともあってか、今回の試合にのみかんして言えば、両チームの力はほとんど五分で、目を見張るようなプレーやゲーム展開もあまりなく、2−2で終了。まぁ、混乱を起こさないためには、引き分けでよかったのかもしれませんが。


帰りの電車のなかで、モロッコ系女性とポルトガル系(らしい)男性の話を聞くともなしに聞いていたら、フランス対ポルトガルの試合の時にはやはりポルトガルのサポーターが大挙押し寄せ、観客席の大半を占めたことがあったそうです(ちなみにフランスへの移民でポルトガル人はアルジェリア人に次いで多い)。フランスのサッカーには移民の存在がさまざまなかたちでかかわってくることを、あらためて実感した一夜でした。