移民とジェンダー:『移民と現代フランス』を読む

Yumat2006-10-09

フランスの移民問題といえば、さいきん何かと話題になる機会も多く、それにかんする書物も何冊か出版されています。2003年に出版された本書は、そのうちの一つです。著者は上智大の先生で、専攻は明記されてませんが、『子ども不足に悩む国、ニッポン』や『ニッポンの男たち』、『フランス 新・男と女』といった著作があるところからすると、比較文化論あたりのことをされている方なのかもしれません。


移民と現代フランス ―フランスは「住めば都」か (集英社新書)

移民と現代フランス ―フランスは「住めば都」か (集英社新書)


本書は移民問題を扱ったものですが、社会科学的な本ではなく、数多くの移民たちの「生の声」を集めた本です。同じテーマを扱った書物のなかにルポルタージュ的な本もすでにあり、それもなかなか良い本なのですが、それと較べて本書の強みは、女性に多くの焦点が当てられていることです。


移民問題といっても切り口はたくさんありますが、移民たちとホスト社会とのあいだで生じるコンフリクトを研究する場合、じつは女性の存在が重要になってきます。ここ10年以上にわたって、フランスで論じられてきたムスリムの女生徒のスカーフ問題はその最たる例ですが、それ以外にもいろいろあります。


たとえばアフリカには一夫多妻や女性器切除(Female Genital Mutilation=FGM)といった慣習を持つ人々がいます。こういった慣習は、普遍的な人権の観点に照らして、廃絶すべきなのでしょうか?それとも、それぞれの文化がもつ固有の価値観やルールなのだから他の文化がみだりに介入すべきではないのでしょうか?単純化していえば、前者の考え方が普遍主義、後者の考え方が文化相対主義と呼ばれます。このジレンマは、文化人類学でよく論じられてきましたが、社会学ではそうでもありませんでした。


ところが先に見たように、多くの移民がアラブやアフリカの諸地域からやってきたとき、彼ら・彼女らは、当然ながら出身地域の文化をも携えてきました。携えるというよりか、身に染みついた文化はそう簡単に捨て去ることはできません。移民たちのなかには、移住先でもその文化を維持しようとする人が、当然ながら現れてきます。こうして、いまやフランス社会内部で、普遍主義/文化相対主義のジレンマに直面するようになったわけです。このジレンマを、どう考えたらいいのでしょうか?「郷に入りては郷に従え」で、移住した以上はフランス社会の価値観に従うべきでしょうか? しかし場合によっては、この同化が移民たちをより窮地に陥れ、問題を悪化させることもあります(詳しくは本書を参照)。したがって問題はそう簡単ではありません。これを考えるためには、まずもって移民たちの生活世界について知っておく必要があります。


いわゆる‘先進国’の価値観からすれば、イスラムやアフリカの移民女性たちは、どうしてわざわざ自分を苦しめるような慣習を守ろうとするのか、という疑問が沸くかもしれません。この問いの答えは一つではなく、いくつか想定しうるかもしれませんが、本書で著者が重視しているのは母ー娘関係のようです。母親自身がかつて娘だった頃、それらの慣習を守るよう自分たちの母親から受けたのと同じ圧力を、自分たちの娘にも反復しているのだ、娘たちに慣習を守ることを一番強く求めるのは実は母親たちなのだ、という、一種の再生産論に立っているようです。


この説が正しいのかどうか、まだわかりません。先にも言ったとおり、本書は社会科学的な分析をおこなった本ではなく、このことを明示的に論じているわけではないので、この再生産論も、一種の仮説にとどまります。それでも、数多くの当事者の声を伝え、移民たちの生活世界を垣間見させてくれる本書は貴重です。なにぶん、テーマがテーマだけに、男性研究者は移民問題ジェンダー的側面には気がつかないか、気がついてもなかなかアプローチできない状況があります。女性であり、ジェンダーの問題に造詣が深い著者ならではの着眼点が、本書の魅力になっています。