『天国にいちばん近い島』:伝統と観光のあいだ

チバウ文化センター

  ニューカレドニアについて語るとき、この作品について避けて通ることはできません。何しろニューカレドニアに行くということを人に言うたび、決まって返ってくるのは「いいですねー」という反応。そしてこの反応が返ってくるのは、何よりもこの本と映画があったからこそです。日本人がニューカレドニアについて抱く一般的なイメージの大部分は、この作品に由来していると言っても過言ではないでしょう。とくに、現在30〜50代くらいの人なら、たとえこの作品をじっさいに読んだり見たりしたことがなくても、この「天国にいちばん近い島」というタイトルは知っているでしょう。この魅力的なタイトルとともに、ニューカレドニアは広く日本人に知られてきました。


天国にいちばん近い島 (角川文庫)

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天国にいちばん近い島 [DVD]

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  実際に現地に行ってみて、この本と映画の影響力についてあらためて認識させられました。ニューカレドニアには、韓国や中国の観光客はまったくと言ってよいほどいません(中国系移民はいます)。たとえば今日パリでは、韓国人や中国人の観光客がたくさんいます。たぶん他のさまざまな有名観光地でも、そうでしょう。でもニューカレドニアはそうではありません。『天国にいちばん近い島』からもたらされたロマンティックなイメージを共有しない韓国や中国の観光客にとって、この島はフィジータヒチなどと並んで、南太平洋の数ある島々の一つという以上のものではないのかもしれません。そう考えると、一つの作品がどれほど大きな影響を現実に与えうるかということがよく見えてきます。
  しかしこの作品も、20代以下の若い人たちには、もはやかつてほどの影響力を持っていないのかもしれません。学生たちの中にも、ニューカレドニアについても『天国にいちばん近い島』についても、ほとんど知らない人が少なくありませんでした。「“天国にいちばん近い島”ってどこか知ってる?」と聞いたとき、「屋久島ですか?」という迷解答をした学生もいました(苦笑)。じっさい、現地で見かけた日本人観光客も、20代後半以上のカップルか家族連れが多かったような気がします(もちろん厳密に調べたわけではないですけど)。
  日本人観光客は毎年およそ3万人で、ニューカレドニアを訪れる外国人(フランス本国人も含む)観光客全体が10万人だから、日本人観光客だけで全体の3割を占めることになります。他はフランス本国が3万人、オーストラリアが1万6千人、ニュージーランドが6千人、その他が残りとなります(ISEE調べ)。ニューカレドニアの観光業にとって、日本人は重要なお客さんなのです。だから観光局の人たちは、もっと若い層にアピールする策を考えないと、近い将来、日本人観光客の数は先細りするかもしれない…などとも思ったのでした。


  話をもとに戻すと、僕自身はニューカレドニア行きが決まってから、映画のほうを先に見て、小説のほうは行きの飛行機で半分、帰りの飛行機で残り半分を読んだのですが、特に小説のほうからいろんなことを考えさせられたので、こちらについて書こうと思います。
  著者森村桂氏がこの小説を発表したのは1964年、今から40年以上も前のことです。幼い頃父親から、地球の南の先っぽのほうに天国に一番近い島があるという話を聞かされていた主人公が、大学生になった頃に父が死に、OLになってからも仕事の面でうまくいかないことばかりで、ついに一念発起、心機一転を目指して父親の言っていた天国にいちばん近い島を見つけに旅に出る、という話なのですが、まずびっくりさせられるのは、主人公のじつに無計画なこと。主人公は鉱業会社の社長に手紙を書き、船に乗せてもらえることになったら友達や親戚から旅費を借りまくっていきます。すべてが突飛だけど、それでも旅ができたのは、会社の社長や親戚の人たちの大らかな善意があったから。
  こんな向こう見ずな主人公だから、当然予備知識もなに一つなく、ニューカレドニアに向かいます。カナクの人たちを最初から最後まで「土人」呼ばわりして、偏見に満ちた記述をあちこちでしているのは、正直読んでいて不快にさせられます。40年も前のことでニューカレドニアについての知識も限られていたとはいえ、文章を書いて公にする以上、もうちょっと知り、考えてから書けよなー、とも思っていたのですが、ある意味でこのような記述が、ラスト近くのクライマックスにいたるための伏線になってるんですね。不快感が断続的に続いていただけに、クライマックスでそれがひっくり返されたときにある種の爽快感を感じるのはたしかです。
  この小説は、今回の旅と重なる部分が何かと多く、それだけにいろいろ考えさせられたのですが、それをすべて書いている余裕はとてもないので、一番印象に残ったことを一つだけ。
  この本のラスト近くで、主人公はカナク族の中に入り込んで生活をともにするのですが、ふとレモという、彼女と親しくなったカナク族の若者が、ニューカレドニアの観光地化計画に反対する演説をしているのに出くわし、次のような思いを抱きます。


ニューカレドニア土人の島だ。フランス政府に占領されて、ニッケルのお金が全部本国へ行ってしまおうと、レモたちは文句をいわない。けれど、観光事業のことには反対しているという。彼らのほしいのは、お金ではない、ゆたかなヨーロッパ風の生活でもない、土人の生活そのものなのだ。観光地になれば、世界中から人々がやって来て、土人の生活にカメラを向けるだろう。ちょっとそれを持って立って笑って下さいといい、記者たちや旅行者は、ずけずけ質問をあびせることだろう。自分の国にいるときは、とても隣の家の人には聞けないような立ち入ったことまでを、ただ未開だ、めずらしい土人の島だというだけの理由で聞きたがるだろう。フランス人たちは、ヤシ小屋風のホテルを建て、ニューカレドニア・ダンスなるものをつくって土人たちに歌を教えこむだろう。祭りのときしかしない、いやその時でさえしないおかしげな“土人”の装束をいつもきせて」(P.210)


僕はこの箇所を帰りの飛行機の中で読みました。この箇所を読んで考えさせられたのは、この主人公の思いにもかかわらず、この本自体が後にニューカレドニアの観光地化に大きく寄与することになるというに皮肉な運命が頭をよぎったからでもありますが、それ以上に、ここでニューカレドニアが観光地になったときに起こりうることとして懸念されていることの一つ一つが、まさに現在、じっさいに起こっているからであり、それをつい数日間のうちに、何度か見てきたからでした。そしてそれらは、フランス人(ヨーロッパ系)がやっていることもありますが、カナクの人たちが進んでやっていることも少なくありません。ヨーロッパ系の人が経営するヤシ小屋風のホテル。伝統衣装を着けたカナクの人々による、かなり現代風にアレンジされたカナクの歌と踊り。それらはまさに、数日前に見たものでした。中でも僕が思い浮かべたのが、チバウ文化センターの「カナクの道」でした。

  チバウ文化センターとは、ヌメア郊外にある、カナク文化にかんする総合施設です。関西空港の設計者、レンゾ・ピアノの設計によって建てられ、Tさんの展覧会もここであったのですが、この施設はとても象徴的な意味を持っています。
  この施設の名称は前回のこのブログで述べたカナク独立運動の指導者、ジャン=マリー・チバウに由来しています。彼はカナク文化運動を展開し、そこからさらに独立運動を展開していったのでした。彼は、伝統文化を“変わらないもの”として保守する道ではなく、“変わりうるもの”として創造的に活かす道を選びました。
  チバウ文化センターの館長の話によると、1988年のヌメア協定の際、チバウは協定を結ぶ条件の一つに、カナクの文化センターの設立を挙げていたそうです。しかしそれは、現在あるような大規模なもの(じっさい、チバウ文化センターはかなり大規模です)ではなく、もっと小規模なものだったらしいのですが、幸か不幸か、89年にチバウが死に、その慰霊の意味もあったのか、あるいは収まりかけた内紛が彼の死を契機に再燃することをフランス本国政府が恐れたためか、多額の予算がつぎ込まれ、現在のような大規模な文化センターができあがりました。
  レンゾ・ピアノは、この建物をカナクの伝統的な住居カーズcase(小屋)をモチーフに設計しました(写真参照)。また、このセンターの中には、カナクや南太平洋の先住民族のさまざまなもの(仮面やトーテムポール、装飾道具など)が展示されると同時に、カナクの人々による現代アートの作品もあり、その他にライブラリや特別展のスペースなどがあります。
  センターの周りは緑に覆われ、そこに「カナクの道」と名付けられた小道があります。この道に沿って歩くと、カナクの創世神話が順に辿れるようになっています。そして、しかるべき時間にしかるべきお金を払うと、じっさいにカナクの人々が腰みののような伝統衣装を着て、白粉のようなもので独特な化粧をし、この神話を再現してくれるのです。観光客は、カナク人のガイドの説明を聞き、このパフォーマンスを眺めながら小道を歩いていきます。一通りパフォーマンスが終わると、ご丁寧にも“俳優”たちとの記念撮影タイムが設けられていて、彼らの方から「写真はどうですか?」と勧めてくれる。
  そう、まさにここでは、レモが反対し、『天国』の主人公が危惧したことが現実に起こっているのです。はたしてこの「カナクの道」が、伝統を基盤に未来へ向かうこと、未来のために伝統の変化を受け入れること、というチバウの理念を表すものなのかどうかはわかりません。
  観光産業化された伝統文化がたいていそうであるように、「カナクの道」には一種のシニシズムがあります。演じるほうも観るほうも、どこかで「これは観光用のパフォーマンスに過ぎない」という思いを共有していて、それをわかったうえで、あえて観客は楽しみ、“俳優”たちは生活の糧を得るのです。『シニカル理性批判』のP.スローターダイクにならってシニシズムを「啓蒙された虚偽意識」、すなわちある事柄が真実でないと分かっていてなお真実であるかのように振舞うこと、と定義するならば、ここにあるのはまさにニシズムに他なりません。


シニカル理性批判 (MINERVA哲学叢書)

シニカル理性批判 (MINERVA哲学叢書)


  でも、限られた収入源の中で、もはや存在しない、あるいはもともとなかった伝統文化を創り出してでも、それを観光資源として最大限に利用して生活の糧を得ようとすることを、簡単に否定する気にはなれません。こういった伝統文化の観光用パフォーマンスは、伝統文化の真正さ(オーセンティシティ)が失われてしまったシニシズムの世界といえばいえるでしょうが、別の見方もできるように思います。
  伝統文化が「真正である」というのは、伝統文化と、そこに属する人とが不可分一体のものである状態を指すのでしょう。逆に伝統文化とそこに属する人とが切り離された状態――ただ祭やショーのためにしか着ないような衣装、行なわないような儀式など――は、「真正ではない」状態ということになるでしょう。しかし、それは、それだけ人々が自由である証でもあります。逆に伝統文化と人々とが不可分であるということは、それだけ人々がその文化に埋没し、拘束されているということでもあります。これこそが自分たちの真正な伝統文化だ、とこぶしをかざすだけの人よりも、観光客相手に伝統文化を演じてみせ、終わったら私服に着替える人のほうが、伝統を活かすことができるとも思うのです。
  学生の頃、スペインを旅したとき、場末のショー・レストランで、夕食を食べながらフラメンコの踊りを見たことがありました。ステージの上に踊り子が立って踊るのですが、その後ろの壁沿いに、むさくるしい男が数人、椅子に座って並んでいました。音楽に合わせて手をたたき、時おり掛け声をかけるのが、彼らの役割でした。腹の底から搾り出されるかのような声は太く大きく、ごつい手で鳴らされる手拍子は力強かったけど、彼らは一様に下を向いて、疲れた表情をしていました。でも僕は、踊り子の華やかな踊りもさることながら、そんな彼らの疲れた表情を、けっこういいなと思ったものでした。