『資本主義のハビトゥス』と「負け組」内格差

  今日も院ゼミがありました。
  5月25日に書いたように、今年のゼミではブルデューを読んでます。『資本主義のハビトゥス』と『遺産相続者たち』とはすでに読み終わり、今回から2年生は各自の研究発表、1年生は『実践感覚』の発表です。
  ここで『資本主義のハビトゥス』と『遺産相続者たち』の内容についての感想を少し。
  『資本主義のハビトゥス』は、労働者(プロレタリア)と下層労働者の社会的差異というのが一つのテーマになっています。たとえば、自分の未来にたいして合理的な見通しをもつということは、資本主義システムに組み込まれ、最低限の生活の安定を得た労働者には可能だが、資本主義システムから排除されている(と同時に前資本主義システムからも排除されている)下層労働者は、その地位の不安定さゆえにそのような見通しが持てない、といった議論があって、これなどは今の日本社会の状況に当てはめてみたりしても面白い。
 たとえば数年前に森永卓郎氏の『年収300万円時代を生き抜く経済学』という本が評判になりました(それにしても、この表紙の帯にある著者の顔は、特殊メイクでわざと老け顔にしたかのような不自然さが感じられるのですが…)。


新版 年収300万円時代を生き抜く経済学 (知恵の森文庫)

新版 年収300万円時代を生き抜く経済学 (知恵の森文庫)


この本は、構造改革によって大金を稼ぐほんの一握りの高所得者層と圧倒的多数の低所得者層への階層分化が進行するとしたうえで、もはや高収入を得ることは難しいし、そもそも低所得でも生き方や考え方次第で幸福に生きられるのだから、そのような生活を目指してライフスタイルや価値観を転換することを提唱しています。「勝ち組」・「負け組」や「格差」といったことが盛んに論じられるようになるなかで受け入れられたのでしょうが、ここで低所得の具体的数値として想定されているのが、タイトルにもある年収300万円です。
  しかし現在では、むしろ300万円以下の収入しかない人々が無視しがたいほど多くいます。年収100万や200万のフリーターやそれ以下のニートがたくさんいて、そういった人たちには、ライフスタイルや価値観の転換をと言われてもそんな簡単にはできないし、あるいはそうしたとしても、それは非常に脆い生活基盤の上に成り立つライフスタイルであることに代わりはありません。

  個人が自分の将来にたいして抱くヴィジョンは、その人自身の社会経済的状況と深くかかわっている、とういのがブルデューの基本的スタンスの一つです。資本主義システムの周縁に置かれている下層労働者は、その地位の不安定さゆえに、将来にたいする中長期的な見通しを持って合理的・主体的に現在の行動を選択することなどとうていできない、と。これは、フリーターの(一部の)考え方・感じ方を、よく表しているように思います。数年後の人生さえも不透明な状況にあるフリーターは、とうてい数十年後の生活にたいする合理的な見通しを持つ余裕はなく、だから年金を払わない人も増えるのでしょう。
  今日では、数年後の人生を不透明に感じ、年金を払わない人はフリーターに限らないのではないか、という意見もあるかもしれません。たしかに、不透明化・不安定化・流動化は社会の広範囲で進行する事態と言えます。しかしそのプレッシャーが一番尖鋭にかかるのは、やはりフリーターをはじめとする最低所得者層ではないでしょうか。
  要するに、現在の日本における格差問題は「勝ち組」・「負け組」という言葉に引きずられて、高所得者層と低所得者層への階層分化にばかり目が行きがちです。言い換えれば、一括りに語られる「負け組」=低所得者層の内実に立ち入って考えられることがあまりありません。でも実は、低所得者層と最低所得者層の違いこそが、現在の格差問題においては重要なのかもしれません。『資本主義のハビトゥス』は、そこに気づかせてくれる本です。
  と、今日はすでにだいぶ長くなったので、『遺産相続者たち』はいつかまた。