『遺産相続者たち』:大学文化の地域差と文学部の現在

  昨日は久しぶりに学生たちと同僚のT先生と、「歳三」で飲みました。就活が少し落ち着いた四年生たちの間で、誰からともなく飲みたいねーという声が挙がったようで、思い立ったが吉日、その日のうちに飲み会へと発展して、たちまち10人ほど集まりました。この集まりの良さはなかなかのものです。彼女たちの仲の良さ(と、飲み会への渇望の強さ:笑)のあらわれでしょう。店を出た後は、いつものように研究室に向かい、夜2時まで飲み直し。でもこのときの食べ物がケーキの後にそうめんって…いやみんなで完食しましたけど。
  三月後半から四月いっぱいにかけて、いろんな行事の飲み会が文字どうり毎週あって、四月後半頃には正直うんざりしてましたが、五月は一度もなかったし、ここしばらくは個人的事情により修行僧のような禁欲的生活をしていたので、久しぶりの飲み会は楽しかったです。おかげで今日は二日酔いで授業が大変でした。
  でもほんと、こういうふうに時間があるときに思いつきで一緒に飲みに行ける人がいるっていうのは良いですね。最近では、こんなふうに教員と学生、あるいは学生どうしの距離が近いのは、全国的にも珍しくなっているのではないでしょうか。
  この近さはたぶん、社会学のカルチャーでもあるでしょうし、地方大学のカルチャーでもあり、もっと言えば熊大固有のカルチャーなのでしょう。じっさい、今年北陸のほうの大学からうちの大学院に来たI君も、「最初、ここの大学の人たちは何でこんなに仲が良いんだろうと思いました」と語ってました(ただし彼はもともと法学部出身ではあるけど)。
  自分の学生の頃と較べても、やはり教員と学生との距離は近いと感じます。自分が学生の時は、コンパもこんなに頻繁にはなかったし、卒業旅行や謝恩会もありませんでした。京都では(たぶん鉄道網が数多くある都市部では大体そうでしょうが)、ほとんどの先生たちは電車で通勤していたので先生たちのプライヴェートの部分に触れることはほとんどなく、またそれが当然だと思ってました。だから自分が教員として熊本に赴任することになったとき、当時車を持っておらず、電車は大学から遠いので大学の近くに住居を選ばざるを得ず、「スーパーで買い物していて学生と鉢合わせしたら嫌だなー」と思ってましたが、こちらではそういうこともけっこうよくある(学生がレジのバイトをしていたりさえする)ので、じきに慣れました。逆に学生から「先生、タマゴならこっちのほうが安いですよ」なんて言われて得したり。
  こんな大学文化、学生文化の違いについて、最近あらためて意識することになったのは、院ゼミでブルデューの『遺産相続者たち』を読んだのがきっかけでした。(それにしても、このタイトルは誤訳というか、不適切な訳だと思いますが。たしかに原著のタイトルLes Heritiersには「相続者」という意味がありますが、本書の場合、親世代から子世代に相続されるのは文化資本であって、遺産ではありません。文化資本の相続の場合、親は別に死んでるとは限らないわけですから、本書のタイトルを「遺産相続者たち」とするのはおかしいのです。『文化相続者たち』とでも訳すべきだったんじゃないでしょうか。)
  ブルデューと言えば、日本では「階級的不平等の文化的再生産」の理論家として知られています。もちろんこの本もそれが主題なのですが、それと並んで、大学の地方間格差の話がちょくちょく出てきていて、それが上に書いた自分の経験などに照らして身につまされる部分があって、けっこう面白い。
  ブルデューはこんなふうに言ってます。「文化的不平等における地理的要因と社会的要因とはけっして分けることができない」。階級の点だけに注目すると、「日本はフランスのような階級社会ではないのだからブルデューの理論は当てはまらない」というような反応がすぐに出てくるのですが、しかし地方間格差の点から見ると、彼の理論をもう少ししっくりと理解できるように思います。たとえば熊大では、経済的理由で大学院進学を断念する人は少なくありません。また、院生たちにとって、稼いだバイト代で自分の研究用の本を買うということは、それほど自明のことではありません(買う学生も、もちろんいますが)。自分が院生の頃の感覚からすれば、「院生になって本を買わないとはどういうことやねん、それでどうやって修論書くっていうねん」、という気がしますが、ブルデューの理論は、そこで一歩立ち止まって、それを社会学的に理解する手がかりを与えてくれます。つまり、「学生たちはどうして本を買わないのか」と(憤懣を込めて)問うよりも、「稼いだお金を本代に充てることを自明視するハビトゥス(という用語はこの本では使われてませんが)が成立する社会的条件とは何か」、と問わなければならないのです。
  自分を相対化してみるということは、学問をする上で重要なことです(自己絶対化はドグマでしかないから)。でも、自分を相対化するというのは難しい。頭の中で知的に自己相対化してみたつもりになっても、それは同じ平面の上をすこし移動した程度のことでしかない、ということは、よくあるように思います。京都にいる頃の自分が、まさにそうでした。熊本にやってきて、有形無形の「異文化」に触れることで、ほんとうに身体的レベルで相対化するきっかけが与えられたように思います。(そういう意味では、毛沢東の農村下放は正しかったのか!?いや、あれはやっぱり、相対化する方向が最初から決まっていたから、けっきょく相対化になっていない、と思う。)この身体的レベルでの相対化を言語化してくれるのが、『遺産相続者』の面白いところです。


  ただし、この本の第3章の文学部批判は、正直うなずけないところもあります。ここでブルデューは、文学部(当時のフランスの大学の)の授業が職業人よりは教養人の育成を目的としていて、教育内容と進路とが不確定であるため、文化資本(この言葉もこの本では使われていないけど)があるブルジョワジー出身の学生たちは、卒業後の進路もさして心配する必要がないし、また大学での教養的授業も自然に受け止めることができるが、労働者や農民出身の学生はそうではない、と述べ、この不平等を解消するために、より教育を合理化することを提唱しています。
  この本が書かれたのは1964年で、その後、フランスの大学は大きく変わりました。具体的にどのように変わったのか、よく知りませんが、教養人育成型から職業人育成型への比重のシフトは、まさに今の日本の大学で進行していることです。
  熊大の文学研究科(大学院)でも、大学当局の上のほうから、教育目標や教育目的の明文化を求められていて、しばらく前、各分野で書きました。修論の評価項目や修士課程での到達目標、修了後の進路などを書くのですが、どこの分野もかなり具体的に書いたのに、それでも上の人から見ると、文学部の教育目標・教育目的は曖昧で、「もっと具体的にできないか」というご意見をいただきました。この場合の「具体的」というのは、工学部のJABEEなんかを想定しているようです。JABEEとは「日本技術者教育認定機構」の略で、この機構のHPによれば、


大学など高等教育機関で実施されている技術者教育プログラムが、社会の要求水準を満たしているかどうかを外部機関が公平に評価し、要求水準を満たしている教育プログラムを認定する専門認定制度


だそうです。(http://www.jabee.org/


要するに、JABEE認定の教育プログラムを提供している工学部を卒業した学生は、きちっとした教育を受けたという保証を得られるわけです。でもこれって、高度産業社会を担う労働力商品(=学生)を製造する工場としての大学が、自分たちの製品にたいして「品質管理」するという発想なんですよね。工学部がそういう発想でいくのはまだしも、文学部がそれと同じようにすることはできないし、そうする必要もないし、さらにそうするべきでない、と思うのですが。
  むしろ文学部というのは、そういう発想を批判する場所ではないでしょうか。もしそうでなかったら、学生は製品(だけ)ではないこと、大学(あるいは学校)は工場(だけ)ではないこと、教育は製造業(だけ)ではないこと−−社会学者としては、好むと好まざるとにかかわらず、ある面で近現代社会において学生が“一種の”製品であり、大学・学校が“一種の”工場であり、教育が“一種の”製造業であることをも認めなければなりませんが−−を、どこで私たちは気づくのでしょうか。人文科学humanitiesという知識を提供する場である文学部は、人間性humanityの条件を探求する場です。ところが現状は、その存在理由を自分から捨てるような方向に向かっています。
  『記憶の不確定性』の著者として言わせてもらえば、不確定であることは、必ずしも悪いこととは限りません。たしかに文学部の学問には、何のための学問か、何につながるのか、といったことが必ずしも明確ではないことが、他の学部で提供される学問に較べて、多いかもしれません。でもだからこそ、学生たち自身に考える余地があるわけで、それがなくて決められたメニューを教え込むだけで本当に思考力や創造性って育つんでしょうか?むしろ不確定性こそが、人間の自由の証、人間が機械ではないことの証なのです。
  システムの観点から言っても、“遊び”のないシステムは硬直してしまい、逆に危険です。ちょうど“遊び”がなく、効きすぎるブレーキが逆に危険なように。戦中期の日本は、まさにそのような状態だったのではないでしょうか。戦中期日本を、軍国主義がはびこって非合理な時代だったとするのは一面的な見方で、他面において、徹底して合理化の進んだ時代でもありました。そもそも総動員体制というのは国内の人的・物的資源を最大限効果的に使用するためのものだったし、厚生省や国民皆保険制度など、福祉国家の原型が確立されたのもこの時期でした。しかし、そういった合理的な社会システムの確立にもかかわらず、根本的に「この合理化の方向は正しいのか?」と問われることはなかったし、あっても声にならなかった。その結果については、言うまでもないでしょう。
  いっさいの無駄を省き、規格化された画一的な製品ばかりつくる社会が、いつかそのツケを払うことになるのではないかと、危惧する今日この頃です。