三島邦弘氏トークショー@長崎書店

上通りの長崎書店で出版社「ミシマ社」の三島邦弘氏のトークショーがあったので行ってきた。三島氏のことを知ったのは、わが故郷、京都府城陽市で出版社を営んでいる人がいるということを人づてに聞き、その後、新聞記事などで紹介されているのを読んで以来のこと。


最初の感想は、変わった人もいるな、というぐらいのものだった。なぜ変わっているのかと言えば、城陽市がまさに「出版不毛の地」だからだ。今日のトークショーでも、三島氏が「城陽市で出版社をやっているんです」と周囲の人に言ったら、「え!?城陽に?どうして?あんなところ何もないのに」などとさんざん言われたそうだが、そういうことを言った人たちは、まだ城陽を知っているだけ良いほうで、関西でも知らないか、名前は知っていても一切イメージが浮かんでこない人のほうが多いだろう。そんなところで出版社を営むというのだから、それだけで面白そうだけれども、出版のポリシーの面でも大手の出版社とは違って、独自の本作りにこだわっているということなので、数日前にたまたま長崎書店の前を通りがかってトークショーのことを知った時には、直ちに来ることを決めた。


そして、今日。一言で言うと、三島氏は編集者にして出版社の経営者であるけれども、同時に作家でもあるのだな、というのが一番の感想だ。三島氏自身、本を執筆していて(今日のトークショーは近著『失われた感覚を求めて』の出版記念として行われた)、その意味での作家でもあるけれども、それ以上に、編集・出版の作業をつうじて、本という世界の面白さを人に伝えようとしている、という意味で、そうなのだと。つまり物書きにとって書くことが表現の手段であるのが、彼にとっては編集が表現の手段なのかもしれない。編集というものがどれほどクリエイティヴな感性を必要とするものかがよく伝わってくる話だった。


トークショーのなかで、ミシマ社はすでに城陽市にはなく、京都市内に移転したことを初めて知った。城陽で出版社を営むことの大変さは容易に理解できるけれども、ちょっと残念な気もする。『失われた感覚を求めて』の副題は「地方で出版社をするということ」とあるが、京都市内には出版社がたくさんあり、「出版不毛の地」などとは到底言えない。同じ「地方で出版社をする」と言っても、城陽と京都では意味合いもインパクトもまったく違ってくる。


でも大事なことは、出版不毛の地に出版文化を根付かせるということよりも、出版社として「表現としての編集」を続け、面白い本を世に出す環境があるかどうかだろうから、城陽撤退もやむなし、かもしれない。とりあえず、『失われた感覚を求めて』には東京から城陽への移住の顛末が書かれているようなので、こんど読んでみよう。



ミシマ社HP
http://www.mishimasha.com/

長崎書店HP
http://nagasakishoten.otemo-yan.net/