「育児休暇」考

Yumat2012-11-09

日曜日に二カ月ほどの育児休暇を終えて職場復帰しました。男性の育児休暇取得率がまだまだ低い中で、この貴重な経験をする機会を得られたのも、熊本大学と同僚の先生たちのおかげです。感謝です。


大学内外のいろんな人(男性)に「育休取るんです」あるいは「今育休中なんです」というと、返ってくる反応は「いいですね」「うらやましい」と驚きと羨望を率直に表明するか、「楽しんでください」と応援してくれるかのどちらかでした。否定的な反応を示す人はおらず、その意味ではありがたかったのですが、しかし、わずか二ヶ月間とはいえ、育休を取ってみてわかったのは、育児と家事とを両方こなすというのはかなりの重労働だということ。たしかに育児休暇を取ろうにも取れない人が多い中で、それが取れるというのはありがたいことだし、子どもとたっぷりと時間をかけてかかわれるということは、何ものにも替えがたい楽しさがありますが、その楽しさは育児と家事の大変さとワンセットのものだということは、身に染みてわかりました。


赤ちゃんの世話というのは一つ一つ時間がかかります。おむつを替えるにしてもご飯を上げるにしても寝かしつけるにしても、こちらの言うとおりにはなかなか動いてくれず、かといって叱って言うことを聞かせられる年齢には達していないので(怒るときょとんとしていたり笑ったりする…)、ひたすら相手のペースに合わせて我慢強く世話するしかなく、とかく時間がかかります。ようやくできた空き時間に買い物をしたり洗濯をしたり自分たちの食事の準備をしたりしているうちに、またミルクや食事の時間がやってきます。夕方か夜に相方が帰ってきてバトンタッチしてから本業の仕事(原稿書きや学生の卒論指導、メール書きなど)をするという感じのサイクルでした。まあ自分が慣れていなくて要領が悪く、必要以上に時間がかかった面もあると思いますが、しかし育児というのは基本的に手間暇のかかるものだということをつくづく得心しました。、


今の日本で一般的な男性の育児参加と言えば、仕事から帰ってきて子どもとふれあったり、週末に子どもと遊んだりということだから、もしかしたら男性の育児休暇というのもそのイメージの延長上で捉えられているのかもしれませんが、実際はさにあらず、育児(と家事)はかなりの重労働であって、「子どもとのふれあい」というだけでは済まないものがあります。


男性の育児休暇について誤解を生むもう一つの要因は、育児「休暇」という言葉にあるのではないかという気もします。休暇なのだから、その間、仕事を免除されて子どもとふれあいを楽しむんだろう、と。しかし育児休暇とは仕事の休止ではなく、仕事を通常の職務から家庭内の育児・家事に切り替えることなのだから、けっして「暇」になるわけではありません(夫婦どちらも育休を取ればだいぶ違ってくるでしょうが)。男性の育児休暇取得率を上げるための比較的コストのかからない一案として、この名称を変更してみるというのはどうでしょうか。


もちろん「いいですね」「うらやましい」「楽しんでください」と言ってくれた人たちも何ら悪意があるわけではなく、率直な反応として言ってくれたわけなので(たぶん)、変に絡むつもりは全然ないのですが、一般論として「楽しみのために休む」という前提で男性の育児休暇が理解されている限り、「自分の楽しみのためによくこの大変な状況の職場を放り出せるよな」という批判を引き起こしかねないし、現に民間企業ではそういう空気が男性の育児休暇を取りにくくしている現状が多少なりともあるように思います。


繰り返しになりますが、育児とは手間暇のかかる仕事であり、男性の育児休暇は育児という仕事への労働力の投入です。たぶんそんなことは大上段に構えて言わなくても、育児を経験したすべての人は経験的にわかっていて、その大変な仕事をよりポジティヴな気持ちで取り組めるようにと、「育児を楽しむ」という発想が出てくるのかもしれませんが、その発想が何かを阻んでいるのではないかという気がするこの頃です。


じゃあいったい、誰かに「育休中です」と言われた人は、その人に何と言えば良いのか?…やっぱり「お勤めご苦労様です」でしょうか。なんだか非常に特殊な務めを果たしたその筋の人みたいですが。