囚人墓地のこと

共同通信発の三池炭鉱についての記事が、佐賀新聞中国新聞信濃毎日新聞に載りました。その中で、短いですがコメントを寄せました。


もう一つ三池関連の話。三池炭鉱ではかつて囚人を労働させていました。その中で亡くなった人々の慰霊祭が、毎年「大牟田市囚人墓地保存会」の皆さんのご尽力により、盂蘭盆の季節に行われており、今週水曜日にも、第44回目の慰霊祭が執り行われました。


この慰霊祭について調べている中で、三池集治監(後に三池刑務所、現在、三池工業高校のある場所)で亡くなった囚人たちの合葬の碑が熊大のすぐ裏手にあると知り、今日は授業が終わった後、“調査”に行きました。工学部衝撃実験棟と白川沿いにある上河原公園の間に挟まれた5メートル四方くらいの狭いスペースに「熊本刑務所之廟」があり、いくつもの合葬の碑が建立されています。そのうちの一つが「三池刑務所合葬の碑」。側面には「三池刑務所在所中死亡者二千四百六十八名」と書かれています。ほとんど熊大の敷地内に食い込むような場所に墓地があるのはどうしてなのか、実際のところはわかりませんが、おそらく工学部などのある黒髪南キャンパスができるよりも先にこの墓地はあり、南キャンパスをつくるときに移築も解体もするわけにはいかず、仕方なくそのままになったのではないかと思われます。大学のキャンパスもくまなく歩いてみると、いろいろ風変りな場所が見つかるものです。