オルハン・パムク『雪』を政治的に読む

オルハン・パムクの小説『雪』について書いた原稿が刊行されました。


http://homepage3.nifty.com/BC/C8_1.htm


『雪』は、ドイツに暮らすトルコ人詩人が、トルコのうら寂れた小都市カルスを訪れ、そこでイスラム主義勢力と世俗主義勢力との抗争に巻き込まれてゆくという物語です。西洋近代のリベラリズム的価値観を身につけた非西洋の知識人が自国のイスラム主義とどのように向き合い、その声をどのように小説という西洋近代的なメディア形式で表象するのか?そのことはそもそも可能なのか?こういった問いを軸に、この作品を論じています。


こういった問いは、非西洋圏の知識人はなんらかのかたちで直面するものです。西洋近代の文化をつうじて自己形成を遂げた日本の知識人が、排外的ナショナリズムに直面したときにどのように対峙してきたのか?これは近代日本の思想史を貫く問いの一つであり、そしてそれと同型の問いが、この作品では反復されています。イスラム主義という、今日の日本の文脈ではどのように位置づけていいのかよくわからない問題も、この観点からみれば、かなりの部分が理解できるし、そして『雪』はその理解の手がかりとなるものです。しかし、この作品が与えてくれるイスラム主義の理解が、それだけで十分な、イスラム主義の全体像を与えてくれるものと言えるかどうかーーこの点にかんして、批判的な読解を試みました。


最近ではオルハン・パムクの小説の翻訳も進み、紹介もかなりされているとはいえ、まだその作品をまとまったかたちで論じた文章がほとんどない段階でこのようにテーマを限定した読み方をすることによって、この希代の小説家のテクストが持つ多様な読解可能性を狭めてしまうのではないかという思いが、書きながら幾度となく頭をよぎったのも事実です。上に書いたようなことをまったく抜きにして読んでも、『雪』は十二分に面白い作品です。とりわけ、物語・物語内物語・物語外の現実という三つのレベルが重層的に絡まりあうテクスト構造の見事さには目を奪われるばかりであり、この作品の小説としての特徴や価値を明確にするために、それこそが先に分析されるべきだったかもしれません。


しかし他方で、ハンチントン文明の衝突』で西洋近代の主要敵の一つとされ、9.11事件によって広くその通りに認識されるようになったイスラム主義をどのように考えるかということもまた、今日切迫した問題であり、そしてその問題は、欧化か排外かというジレンマに直面してきたトルコや日本といった国の歴史的経験をふまえるとき、単純な<友ー敵>論的二元論を超える糸口も見出せるのではないかという思いから、あえて政治的な読解を優先しました。その読解がどこまで妥当かどうかは、読者の批評を俟つほかありません。


雪