「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録に寄せて

Yumat2015-07-06

昨日、ドイツのボンで開催中の第39回ユネスコ世界遺産委員会で、「明治日本の産業革命遺産」が正式に世界遺産登録されることが決定した。8県11市にまたがる23の構成資産は、非西洋世界における工業化という未曽有の試みを約50年間という短期間で成し遂げるという文明史的転換の過程を示すものとして、その価値が認められた。


古墳や神社仏閣、城郭など、それぞれの時代がそれぞれの時代を後世に伝えるべく、固有のシンボルを備えているように、近代という時代もまた、記憶され、想起されるためのシンボルを必要とする。「明治日本の産業革命遺産」は、まさに近代という時代の記憶を担うシンボルとして、今後保存されることになった。重工業の発展とともに栄えた地元の地域社会のなかには、それらの産業の衰退とともに苦しんでいるところも多い。そういった地域社会にとっても、この世界遺産登録は明るいニュースである。


韓国政府は構成資産のなかに、かつて自国民が強制労働された場所が含まれているとして反対し、登録に至る最後の最後まで、日韓両国のあいだで交渉が続けられ、世界遺産がきわめて政治化した。最終的にはイコモス(国際記念物遺跡会議)および議長国ドイツの仲介があって合意に達し、なんとか登録が実現するに至った。日韓関係が最悪とも言える状況にあるなかで、一連の政治的論争ももっぱらその文脈において論じられ、受け取られてきたが、しかしその論争は、少し異なる文脈に置き直して捉えることができるし、またそうする必要がある。


私はこれまで構成資産の一部を占める三池炭鉱の地元、福岡県大牟田市熊本県荒尾市で現地調査を行ってきたが、世界遺産登録に複雑な思いを抱く人は、実は地元にもいる。三池炭鉱にはさまざまな「負の遺産」と呼ばれる出来事がある。日本全国でも知られている出来事として、「総資本対総労働」と呼ばれた三池争議(1960年)があるが、それと並んで重い記憶をなしているのは事故、とりわけ三池争議から3年後に起きた炭じん爆発事故(1963年)である。死者458名、一酸化炭素中毒患者839名を出した戦後最悪の炭鉱事故は、もはや地元以外では忘れられているが、事故後50年以上を経てなお、治療を続けている患者の方々がいるなど、地元では過ぎ去った過去ではない。


争議や事故で辛い思いをした人たちのなかには、三池炭鉱の施設が、負の側面への言及がなされないままに世界遺産登録されることにたいして、複雑な思いを抱いている人もいる。韓国政府のように反対の声を表だってあげることはなかったにせよ、手放しで肯定する気になれないという人は、少なからずいたのである。


明治日本の産業革命遺産」は、幕末から明治末までの時期(1850年代〜1910年頃)を対象に、構成資産の歴史的価値を説明する。それゆえ韓国の批判する「強制連行」はそもそも対象時期の後に起こったことであり、批判は当たらないというのが日本政府の態度であった。


しかし、長い歴史の一部を切り取って価値づけ、その場所を生きてきた人々の体験を捨象するならば、「仏つくって魂入れず」ということになるのではないだろうか。それに、争議や事故、徴用などの出来事は、過酷な体験をした人たちがいたということを意味するだけではない。「明治日本の産業革命遺産」が近代日本の「光」の部分に焦点を全面的に当てるものであるのにたいし、それらの出来事は、近代という時代のもう一つの面、「影」の部分を浮かび上がらせる。影が差し込まず、光だけになるよう歴史の一部分を切り取るならば、それは成熟の否認でしかないのではないだろうか。


日韓の対立を調停するべく、イコモスは以下のような提言をした。

Preparing an interpretive strategy for the presentation of the nominated property, which gives particular emphasis to the way each of the sites contributes to OUV and reflects one or two of the phases of industrialisation, and also allows an understanding of the full history of each site.

(試訳)推薦候補の提示のために解釈戦略interpretive strategyを用意すること。その戦略には、各構成資産が顕著な普遍的価値に貢献するとともに工業化の諸局面の一つまたは二つを反映し、そして各構成資産の全体的な歴史full historyの理解を可能にするよう特別な強調点を置く


この提言にもとづき、ドイツ代表団が妥協案を日韓両政府に提案し、日韓両政府はこれを受け入れて合意に至ったようである。詳細については不明な部分も多いが、このイコモスの提言じたいはもっともである。歴史を伝えるはずの世界遺産が、その歴史に関わった人々を排除するという事態を招かないためにも、歴史を包括的に伝える仕組みが必要だろう。それは、この新しい世界遺産の「顕著な普遍的価値」を目減りさせることではない。むしろ、激しい変化や矛盾に富んだ近代という時代を包括的に伝える希有な場所として、普遍的価値を高めることになるはずである。


今後、日本政府および各地域の自治体や市民にとって、「明治日本の産業革命遺産」を日本の近代を包括的に記憶する場へと育て、成熟させてゆくことが重要になると思われる。